(一)片 想 い

「デルタ・リズムボーイズの券送ります。十四日、会館前で六時半から四十五分まで待っています」

沖田陽一おきたよういちからこのような簡単な手紙とチケットが届いた。

緒田啓子おだけいこが沖田からもらった初めての手紙である。ジャズは好きな分野ではなかったので、自分では絶対に選ばないコンサートではある。しかし彼に誘われたなんて夢ではないかと胸が高なり、即座に行く事を決めた。

その日は啓子が生ジャズ演奏を、生まれて初めて聴いた日であった。演奏会で、沖田はジャズの解説めいた事を何度か耳打ちしてくれたけれど、啓子にとっては、彼の隣に居るというだけで心が落ち着かず、コンサートの良さは本当は理解出来なかったに違いない。

緒田啓子はY大学医学部四年生、明るくはっきりとしたもの言いをする快活な女性である。沖田陽一は啓子と同級生であるが、これまで二人が口をきく機会は殆どなかった。陽一は同級生の他の男性とは何となく違っていて、古風というか、孤高ともいえる雰囲気を持っていた。

二年半前の初夏、学部二年生の薬理実習が始まり、啓子と陽一は同じグループになった。そのため、自然に会話や実験を一緒にする機会が何度かあった。いつの頃からか、啓子は陽一の言葉使いや身のこなしを好もしいと意識するようになった。

学校で彼の姿を見かけるだけで、胸に矢が射られるような痛みを感じ、動悸が速くなる。仕方なく、自然に目を合わせないように彼と距離を置くようにした。それでいて、彼と会えた日は目の端で密かに彼を追いかけていた。

姿が見られただけで胸一杯にそこはかとない幸せが広がった。そして、誰に対してもやさしくなれるような温かい感情が湧いてくるのだった。しかしそのほのぼのとした喜びは、時の経過と共に次第に啓子の心を苦しめるようになった。

これが『恋』なんだろうと自覚しながら、相手に悟られてはならないと自分に命じていた。一方的に恋い慕う気持は日に日に強くなっていってしまった。自分でどうにもコントロール出来ない感情であった。しかし表面上は無関心を装っていたので、周りの者に気付かれる事はなかった。