「子ども」の心に染みる言葉が伝えられているか

「子ども」を教育する場合、なんといっても言葉での教育が何より大切です。一方で、教育者はどこまでその言葉の重みを捉えて発しているでしょうか。

伝達手段としてのみ言葉を使っているうちは、「子ども」を育てる教育にはならないと考えます。発する言葉が「子ども」の心に染み渡り、その「子ども」の心を少し動かして、その結果、「子ども」の行動がより良い変化をしたなら、はじめてその言葉が「育てる」ことに生かされたと言えるのです。

私は、教育者の言葉というのはそういうものでなければならないと思っています。確かに言葉をかけたからといって、いつも「子ども」に思うような行動が見られるわけではありません。

その都度「子ども」の様子を見ながら、その言葉の内容や質を変え、どうすれば教育者の意思が「子ども」の心に届くのか、暗中模索のなかでひねり出さなければいけないものです。そして、その効果はある日突然あらわれます。

そのときは子どもの表情が生き生きとし、その態度に明るさが生まれます。見ているこちらもうれしくなってきます。「子ども」によっては、それがきっかけでいろいろなことが前向きに取り組めるようになることもあります。

そんなとき、教育者の発する言葉には本当に重みがあり、言葉は良くも悪くも「子ども」に大きな影響を与える大切な教育手段だと気づかされるのです。教育者には、改めてその発する言葉の「重さ」を認識してほしいと思います。

もし、その「言葉」が知識や情報の伝達だけで終わっている人は、ぜひこの機会にその使い方を改め、「子ども」を「人」に育てる大切な手段として活用する方法を模索してください。かといってあまり考え込む必要はありません。

いきなり素晴らしい言葉なんて、そんな簡単に思いつくものではありません。大切なことは、自分の言葉をどのように伝えようか、今までよりも少しだけ考えて発してみるだけで、ずいぶん「子ども」への影響は変わってくるはずです。

まったく上手くいかないこともあるかもしれませんが、臆することなく続けてください。そのうちに「あれっ? いいぞ!」と「子ども」の様子が変化するときがやってくるはずです。そんな感覚が味わえたならしめたものです。また「子ども」を育てる魅力にとりつかれてしまいます。

あなたは、言葉に心を乗せて伝えられていますか?