二度あることは

久しぶりに帰省の機会があり、空いた時間ができたので、ぶらりと出かけることにした。小さな町である。ほとんどのことは知っている。何所に行こうかとなっても目新しい所はない。江の脇古墳を思い出し、一度も行ったことがないので見ておこうと腰を上げた。

古墳といっても奈良の石舞台古墳であるとか、堺の大仙古墳群のような大きなものではない。狭い入口をくぐって入ると、狭い空間の右側に一段高い場所があり、何時の頃の物なのか、土を焼いて作られた小さなお宮のようなものが置かれている。

入口の明かりのみの薄暗い中でお宮をよく見ると、観音開きの扉がついている。さわって壊すと大変と思い、眺めるだけにした。扉には、太陽と思われるものと、三日月の絵が線で描かれている。他に見るべきものはなかった。

その夜、姉の家で兄弟縁者集まって宴会となり、姉が私に何処そこに、あまり見られないものがあると言い、明日でも見に行くかと言う。どんなものかと尋ねると、お大師さんの額に、お陽さんとお月さんの絵が描かれていると言う。弘法大師の額にかと尋ねると、そうだと答える。

私も、高野山から、小さな厨子に納まった弘法大師像を取り寄せ、所持しているがそのようなものは見たことがない。誰かの悪戯であろうと思い、明日早く帰るから見ないで帰ると告げた。

帰りの車の中で、古墳の絵と弘法大師の額と、同じようなものが二度出てきた。私の中で、二度出たことは何かわからないが其れに類することが現れると思っている。

面白い本を購入した

ユダヤの世界支配戦略と題されている。本の中ではユダヤ議定書とも書かれている。読み進めてみると是が面白い。理に適っているというか、いちいち納得するのである。このような組織があるなら一枚加わらせてほしいものと思うほどである。同じ内容の本をもう一冊買い求めた。『ユダヤ人世界征服陰謀の神話』と題された本である。此の本と前後して、『ひふみ神示』という本を手にした。これもまた面白い。

今度は、ユダヤ人世界征服陰謀の神話、とひふみ神示とを同時に並行して少しずつ読み比べてみた。前の二冊は頷くことは多いけれど人間の欲てんこ盛りである。これに比べてひふみ神示は人類愛てんこ盛りではないか。

前の二冊は大本教の開祖、出口直さんの御筆先で悪の筆先と予告され、当時信者であった海軍大佐矢野祐太郎氏の手により、聖師出口王仁三郎氏にもたらされたものである。