持論9

今日まで自分は人の心の上限を気に留めて生活をしていた。

やはり心の上限は人それぞれで頑張る上限も心の上限次第で人によってかなり差があるのだと思った。

だが、産まれた時点で心の上限が決まっているのではないかという憶測は違うかもしれない。今の自分が思うのは幼少期の経験や環境で心の上限は変わるのではないかと思う。

例えば今の日本で車にひかれて人が死んでいたとする。ほとんどの人は普通に横切ることはできないであろう。パニックを起こす人もいれば慌てる人もいるだろうし、冷静でいられる人は少ないだろう。しかし、貧困の激しい国では人の餓死などは当たり前なのでパニックを起こす人や慌てる人の方が少ないだろう。

この様なことを考えてみると、幼少期の経験や環境で心の上限が変わるということがうなずける気がする。ということは、その人がどの様な環境で生きてきたか、どの様な経験をしてきたかを知ることでその人の心の上限を知ることができ、無理をしないで仕事をさせることができるだろう。

しかし、その人の経験や環境を知ったとしても自分がその人の経験や環境を経験していなかったり、明確にその人の経験や環境をイメージできないでいて共感できていなければ、その人に無理な仕事をさせ過ぎてつぶしてしまうことになるだろう。

それを避けるためには、一般的に考えられる苦しい経験、悲しい経験、辛い経験、嬉しい経験、悔しい経験、面倒な経験などをなるべくすべて経験し、一般的に考えられない経験も数多く経験することが第一条件になるだろう。

「可愛い子には旅をさせろ」「若いうちの苦労は買ってでもしろ」「経験がすべて」などという言葉はそういう意味でもあるのかと今は思う。しかし、ここまでのことを言っている意味ではなく、この言葉を知った時点でのその人の経験値や価値観で意味を選択できる深い意味のある言葉だなぁと今の自分は思った。

今、言ったことを実践し、先人の方々が作った言葉を当てにするのではなく自分のあとに生きる人たちに、この様な言葉を残せる人間を目指し精進していきたいと思っている。又、このことを精進して一歩成長できたとき、また新たなものが見えることを今の自分は確信している。

上にいく為に。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『上にいく為に』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。