【前回の記事を読む】「見る度に心が痛くなる」言い訳をする人間が陥る悪循環とは

悪循環

性格は簡単には直らないと一般的には定着しているが、自分が思うに直らない性格は自我のことであって、ダメな性格は身の振り方だと思う。

自我は持って生まれたものであって単純に負けず嫌いであったり、温厚、ずる賢い、大らか、素直、頑固などのことで直すことは無理だと思う。

それ以外の嘘つき、面倒臭がり、自己中、無責任、寂しがり、暴力的、などは経験が足りないだけであって直せることだと思う。

幼児を想像してみると納得できる気がする。

幼児に自我を注意しても直ることはないと思うし理解ができないと思う。

嘘つきで例えてみれば、親に嘘をついてごまかしていてそれを知った親が悲しんで涙を流したことを目の当たりにした経験をしていたら嘘をつくことが悪いことだと認識するようになると思う。

面倒臭がりなら、玩具で遊んでいて片付けをする様に教育していれば面倒臭がることがいけないことだと認識するようになると思う。

自己中なら公園の遊具を順番で使うことを注意したり、無責任なら周りに迷惑をかけることの重大さを説いて認識させたり、寂しがりなら親の愛情を注いで人の温かさを認識させたり、暴力的なら暴力をふるうことの恥ずかしさを認識させたりする経験を経て直っていくのだと思う。

ということは悪循環の中にいる人はこの様な経験をしてこなかった人たちだと思う。

この様な経験をさせなかった親の責任だということではなく、親も人の子であり、経験値は人によって様々である。

親だからといって完璧ではない。

経験をして気付いて改善できるために必要なことは、本人にとって大切な人が傷つくか、叱ってくれることだ。そうしないと本人は気付けないのだと思う。

心に響かないと何も改められない、理屈で気をつけるのは限界があるし疲れるだけだと思う。

自分もそうだった。我武者羅に力任せや勢いだけで悪循環から抜け出そうとして周りに迷惑をかけていることに気付かず正当化し、でも満足しきれない毎日に気付き、寂しくなり、また同じことの繰り返し、理想を叶えるには理想を描いた時点の自分では叶えることができないことにも気付かずに……。

理想は理想の中にしかなく、理想に近づけるために自分の身の振り方の改善をしなくては何も変わらないのに。

理想に近づけようとした結果が現実でしかないし、自分の出した結果だということ。

自分の力、経験値がそこまでだったということでしかない、誰のせいでもない。