新緑の頃、信貴生駒スカイラインを一人で車を走らせていると、獣道のような所に幟が点々と立てられている。広場に車を止め幟を辿って行くと見晴らしのよい所に出た。見下ろした先を見て息をのんだ。数日前に見た夢そのままの景色である。

木立の中に木製の灯篭が上半分ほど見えている。何としても灯篭の所まで行き、その先に何があるのか知りたいと思い道を探しながら下って行った。ほどなく両側に椿の葉が茂る道に出て、木漏れ日の中を進んでいくと左に灯篭が見え、右に人家が見える所に出た。門に神感寺の額が掲げられていた。人家と見えるは寺の庫裏であろうか生活感はあるが人の気配はしない。

見慣れた寺の造りは見当たらなかった。人家の岸の下に道があり、そちらに行けば庭に入らずに進めそうである。家を通り過ぎた所に石の鳥居が立っている。鳥居の前まで来てそれ以上進めなくなってしまった。不気味といおうか何とも名状しがたい気になり其処から引き返すことにした。

何度か訪れたが鳥居より先に進めない。また、人家に人影を見たこともない。鳥居より先に進めたのは阿含宗で護身法を習ってからである。鳥居をくぐるだけで三年かかっている。

恐る恐る先に進むと竜神を祀る石碑ばかりである。地球の意味だろうか大きな丸い石に張りついた竜神の像もある。道の下側を見れば竜神窟の石碑と区画された一画もある。窟と記されているからには少ない数ではなくうじゃうじゃといるのであろう。見えなくてよかった。目にしたなら気の弱い私など卒倒したであろう。早々に退散することにした。

何十年ぶりかに訪れてみると少し様子が変わっている。道の両側の椿の木が思っていたよりも少ししかない、灯篭が見えない、山門が新しくなっている。以前あった所に鳥居がない。全部記憶違いなのだろうか。人家に人影がなく、話すことも聞くこともなく帰ってきた。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『市井の片隅で』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。