「伝統の一戦? 岩原さん、なんですか、それ」

「巨人、阪神戦。東京ドームに行くんだよ。今日はデーゲームだよ」

「はあ」

非番の正午。今日の当番勤務者と交替してからも、救急活動記録票の整理に時間がかかり、こんな時間になってしまった。そして、今でも、舞子の手のひらの付け根……手掌基部には、胸骨圧迫の感触があった。

それにしても……死亡確認をするために病院に運ぶのが、救急救命士の使命なのだろうか。人が真剣に救急救命のことを考えているのに、これからプロ野球観戦に行こうなんて、岩原は呑気なものだ。しかも、菅平も行くとのことで、舞子も一緒に野球観戦に行くことになってしまった。先輩の誘いは断りにくい。

「え、チケットがあるわけじゃないんですか」

「そう。行きあたりばったりで、行きたいときに行くのがうちらのやり方なの」

「さ、入ろう」

ライトスタンドの外野、当日入場券を買って、立ち見エリアに入った。

「全然、見えないじゃないですかー」

「いいのよ。雰囲気だけで。ただ、東京ドームで一杯飲みたかっただけ」

菅平が売り子を呼び止め、ビールを三人分買い、舞子と岩原に渡した。

「さあ、明日も当番だ。この一杯だけ飲んだら、帰るぞ」

「ええっ。何のために来たんですか」

舞子には訳がわからない。

「ほら、昨日の事案で、なんか、おまえガチガチな感じだったから……」

岩原がグラウンドを見ながら静かに言った。

「救急隊の使命とか運命とか、よくわからないけど、そんなのすべて背負っていたら参っちゃうんじゃないのかな」

そうか。これは、デフュージングなのだ。

救急隊員が凄惨な現場や人の生死にかかわるような場面に遭遇した場合、心に傷を残してしまう可能性がある。それを防ぐために、仲間同士で現場での思いを吐露し、ストレスをためないようにする。昨日の死亡確認事案で気持ちが沈んでいた新人の舞子を心配した菅平と岩原が、わざと気分転換に連れてきたのだ。