私が生まれ変わるまで

〈二人の保育園時代〉2000年

子どもたちが保育園に行っているころ、保育園の行事には夫も言えば参加しました。自分から行きたいと言うことはなかったけれど、行こうと言えば一緒に行きました。運動会なり生活発表会なり、行くとビデオやカメラが必要になる。これがクセモノで……。

夫はこういう機械類が異常に好きで、ビデオやカメラを買うとなると、そのことで頭がいっぱい。買うと決まった日から数日は、ずっとそれを調べています。私が「高すぎる」とか「そんな高級機はいらない」と言うと、「じゃあ、それできちんと撮れていなかったらお前が責任取るんだな?」と言います。

結局いつも、なんだかんだ言ってランクの上の機種を買う羽目になります。こんなことで、いつもいつも無駄な出費がかさんでいました。何かにつけ最新機種が欲しいと言い、テレビでもビデオデッキでも、スピーカーや携帯、すべてにおいて最新機種が欲しい。

そしていつも私が止めると、「もしこれを買わなくて、〇〇になったらお前が責任取れよ」と言い、結局買う。この繰り返し。そんなこんなで、最新機種のビデオカメラを持ち、自分の子どもを撮る。よくある休日のお父さんの姿です。このころはまだ、一番子どもに興味があった時期だったといまは思います。

だんだんと子どもも自我が目覚め、親の言うことを丸ごと受け入れることがなくなってきます。そうなると、もう夫の手に負えなくなっていったのです。言うことを聞かず、家や車内で騒ぐ子どもに怒鳴ることも多々ありました。

怒鳴るのであれば、なぜいけないのかを説明するのが親の役目。なのに夫は、自分のゲームの音が聞こえないとか、テレビの音が聞こえないという、自分の行動を邪魔されることに怒鳴るのです。そんなことのために小さい子どもを怒鳴っても、子どもは怖いことしか認識しません。怖がらせてやめさせても、子どもはなぜいけないのかは学んでいない。何の学習もしません。

そればかりか、夫は怒鳴ることに一貫性がなく、自分が困っていないときは子どもがいくら騒ごうが何とも言わないのです。ぼ~っと見ている。怒りもしない。私は夫の怒りの地雷の場所がわからず、子どもと夫が一緒にいる空間ではものすごく気を遣うようになりました。