書くことを前提とした読書とは?

すべての本に共通する私の読み方は、書くことにつなげるということです。思考過程や表現方法はもちろん、ワンフレーズであったとしても、何かの拍子にアウトプットできるように読むということです。どんな読書法の本を読んでも、必ず書かれている着想は、この”読後のフォロー”です。

内容をまとめる、人に話す、情報を発信する、ひとつでもいいから実践してみるなどなど、要は「読んだままで終わらせるな」ということです。「活かせる読書をしたいなら、そうした工夫にこだわれ」ということです。確かにそれはそう思います。先の付箋を貼りながら読む読書は、まさにそういうことです。

ただまあ、ずいぶん偉そうなことを言いましたが、”アウトプット”と言っても自分の場合、あくまで文章を書くのが好きなので、書くための参考という程度のアウトプットです。読んだことをいかに実践し、何としても成長しよう、必ず成功しよう、人をマネジメントしようなどという、そこまで気負った考えはまったくありません。

書くことで得られるストレス解消とか、平穏な気持ちの維持とか、ちょっとしたスパイスの利いた人生とか、その程度のための読書です。でも、たとえそのくらいであったとしても、私にとってはけっして小さくない試みなのです。

まとめ

読み方からみた本のジャンルについて、考えるところをまとめました。結局のところ「堅苦しく考えずに、楽しいから読む、豊かな人生を過ごしたいから読む」ということで、基本的にはいいのでしょう。改めて言いたいのは、「本によって読み方を変えることで、より充実した読書になるのではないか。本だから得られる、本にしかない効果を追求したいからこそ、読み方にもこだわってみる価値があるのではないか」ということです。

読み方を考察していると「何のために読んでいるのか?」という根源的な疑問に、どうしても立ち返ることになりますが、「せっかく読むのだから、少しはためになる読書を心がけたい」という、ただそういうことを探りたかっただけなのです。簡単なことですが、とても難しいテーマです。その答えを探す目的で、私は今日も本を読んでいるのかもしれません。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『非読書家のための読書論』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。