日曜日は運河で囲まれたアムステルダムを徒歩で回り、アンネ・フランクの家、王宮、旧教会、新教会、レンブラントの家、中世の城壁の名残のムント塔、涙の塔、モンテルバーンズ塔、国立博物館(レンブラントの「夜警」はダイナミックな画面構成と明暗効果の強調で、革命的な絵画とされています)、ファン・ゴッホ美術館(「ひまわり」「アイリス」等)を見学し、最後に運河クルーズを楽しみました。

 
 

アムステルダムはヨーロッパの都市としては今1つ魅力に欠ける都市で、めぼしい歴史的建造物は少なく、教会もプロテスタントの教義を反映して質素です。1つにはオランダは1815年のウィーン会議の結果オラニエ家が統治する王国になったもので、それ以前は共和国で富の偏在がなかったためかもしれません。

プラハ紀行で1618年から1648年の三十年戦争のことをお話ししましたが、オランダも三十年戦争におけるプロテスタント側の主要参戦国で、1566年からの82年にも及ぶスペインからの独立戦争がオランダの独立によって終結したのは1648年のミュンスター条約です。

オランダは中世初期はヨーロッパ封建社会の中心地で、毛織物工業(タペストリーが代表的)で栄え、独立後は東インド会社を中心に世界貿易の主導権を握るまでになりました。この主導権はやがて新興のイギリスに取って代わられ、18世紀は停滞の時期になりましたが、世界で最も豊かな国の1つとして現在に至っています。

 
※本記事は、2021年8月刊行の書籍『ヨーロッパ歴史訪問記』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。