1998年4月18・19日(土・日) 美術館博物館巡り見物記(Top Ten Little-known Museums)

この週末は久し振りに何も旅行予定がありませんでした(カレンダーを調べてみたら1月17・18日の週末以来でした)。本当はイングランド南西部のコーンウォール地方にドライブをとも思っていたのですが、天気予報が雨でしたので5月に変更しました。ロンドンのフラットには掃除人が2週間に1回来ますので、週末の家事と言ってもシーツの洗濯くらいしかすることがなく、こういう時には美術館、博物館巡りを心掛けています。

 

 しばらく前のタイムズ紙にTop Ten Little-known Museumsが紹介されていて、その筆頭がフローレンス・ナイチンゲール・ミュージアムです。小さなミュージアムでしたが第1位に挙げられているだけのことはあります。展示物の内容よりもナイチンゲールの生涯自体が感動的です。

1820年生まれでケンブリッジ大学卒の父親の個人教授で学び、ドイツ語、フランス語、イタリア語を自由に操りラテン語、ギリシャ語を解する才媛で、当時の富裕なイギリス家族の例に倣い、フランス、イタリア、ドイツ、スイス、ギリシャそしてエジプトまで旅行して回っています。

彼女の名前のフローレンスは、両親の新婚旅行中生まれたイタリアの都市の名前から取られています(お姉さんは同じくナポリで生まれていますから最短でも2年間の新婚旅行ということになります)。

1851年にドイツで看護学を学んだあとクリミア戦争に看護婦の一隊を率いて従軍したのですが、彼女が働いたスクタリ(現ユスキュダル:トルコの都市イスタンブールに隣接する一地区)の野戦病院は先週行ったイスタンブールのアジア側にありました。その時の活躍と献身は皆さんよくご存知の通りですが、献身的な看護婦であっただけでなく病院の管理・運営者としても極めて有能であったようです。

帰国後はクリミア戦争で得た世界的な名声にもかかわらず、個人的な名誉を追求することなく著作、看護学校の指導、運営に努め、1910年当時としては驚異的な90歳の長寿を全うしました。

土曜日はそのあと近くの軍事博物館に行き、日曜日はケンジントン・ガーデン、ハイド・パークを散歩したあと、衛兵博物館、キャビネット・ウォー・ルーム(ロンドン空襲時にウィンストン・チャーチル首相が閣議を開いた地下室)、ナショナル・ギャラリーを回りました。イギリスには全部で2,500のミュージアムがあるそうですので2~3年の駐在期間中に全部回るのは難しそうです。

単身赴任者の一時帰国制度というのがあり、このゴールデン・ウィークに日本に帰ります。12月・2月に帰国して、3月には家族がロンドンに遊びに来ましたからこの4~5ヵ月は家族との接触機会はまずまずです。この次は夏休みになりますから少し間が空くことになります。