あの頃の自分に

二月末、同じマンションの方たちと市内の温泉に行った。帰り、桃の花を買うSさんに誘われて私も買った。そうだ、あのお雛様を飾ろうと思った。もう何年も出していない。

岡山にいた頃、離婚して信用組合に就職した。でも娘を大学に行かせるために東京へ出たかった。仕送りは無理だが、自宅通学なら大抵の大学へ行かせられる。二年後決心した。

リクルート雑誌で探した就職先は、上京して一ヵ月でつぶれた。私は二Kの狭いアパートで小学六年生の娘を抱え、途方に暮れた。夜、眠れないまま見ていた台所との仕切りのガラス戸の薄明かりが、今でも目に浮かぶ。三十六歳になっていた。面接に行っても年齢で落とされた。正規社員募集となっていても、契約社員としてだったら採用と言われる。何とか正規社員になりたかった。

岡山の元上司に勧められて、若いときに働いていた銀行の元支店長Aさんに手紙を書いた。Aさんの紹介で、彼の後輩Bさんが取締役をしている会社に入ることになった。歓迎された入社ではなかった分、パワーハラスメントや女子社員の嫌がらせなど、苦しんだこともある。どこにでもあることともいえる。働いていくうちに、少しずつ自分の居場所ができていったと思う。

仕事が決まってホッとした頃の雛祭り前、お雛様が届いた。男雛と女雛だけの高さ十センチほどの小さな木目込み人形。岡山で働いていた頃、用があって、娘を連れて上司のお宅を訪ねたことがあった。奥様があのときの赤いランドセルの女の子を思い浮かべて、作って下さったという。どんなに娘と私を心配してくれていたことだろう。その子も今は、結婚をして家を出ている。

今日は三月六日。お雛様を片づけている。いろいろな優しい方たちに出会った。七十歳という年齢になってつくづく思う。あのとき、Aさんは年賀状も途絶えていたのに、今さら何を言うかと思っただろう。Bさんにとっては、降って湧いた災難だったかもしれない。それでも助けてくれたのである。

あの台所の薄明かりを見つめていた自分に伝えたい。今はのんきに暮らしていることを。蕾だった桃の花は、今、きれいに咲いている。