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作業療法士から声をかけられ…

京子は結婚を機に仕事を辞めてから、ずっと専業主婦をして、私を支えてきた。

兄が家を出て結婚したため、私達夫婦が両親の住む主屋とは別棟だが、同じ敷地内に建つ家で生活をすることになった。それゆえに、年老いた親を妻が一手に引き受け、面倒を看ることになった。

父親は少し身体が不自由になり、冬は布団から出られなくなっていた頃だ。母親もすでに八十六歳になろうとしていた。何時しか炊事の火から離れるようになり、京子が両親の食事も作らなければならなくなった。

「自分達の食事を、少し多めに作れば済むこと。問題ないでしょう」

母のその申し出は、急だった。今考えれば、昔気質な母は、この時の言葉を最後まで執拗に守ったつもりだったのかもしれない。

母は旧家の育ちで、相手の心を推しはかるのを、苦手とするところがあった。

その時の私達は、単純に言葉通りに受け取った。ところが、二人分の量を増やした状態で食事を作り始めると献立も、味付けも、米の炊き方も全て違っていた。父は、ほとんど食べていたが、母用に持って行ったお膳は、わずかに箸がつけられただけで、時々自分で買って食べたパンの空袋が、クシャクシャに丸められて載っていた。

それは、お膳の食器で見分けがついた。しかし、母はそのことを訴えることのはしたなさを感じていたのか、苦情として京子に伝えることはなかった。

京子は悩んだ末に、献立のリクエスト票というものを手渡した。それでも母は何も書いてよこさなかった。その後も返ってくる母のお膳は同じ状況だった。

京子にとって、昼食が一番難しかったようだ。

妻は今まで残り物を食べて済ませていた。メニュー、味、煮物の硬さ、どれも合わないのかどうか、京子が口頭で確認しても、具体的な答えはもらえなかった。それよりもショックだったのは、訊ねた翌日から、こっそりと食事のほとんどを犬にやるようになったことだ。屋外で飼っている犬の食器に、時々サラダの野菜が残っていた。京子が犬の世話もしており、私はうかつにも、そのことに気付いていなかった。

休日で夫婦一緒に外出する日は、私が両親に市販の弁当を手渡していた。それでも京子は、夕方五時には家に帰ることを自分に課して、いつも私をせかした。夫の機嫌が悪くなるより、両親の機嫌を損なう方が辛かったようだ。

今思うと、母は食事の世話よりも父親の介護の援助をして欲しかったのかもしれない。

段差のある風呂場での介助や排泄に失敗したときの身体の清拭など、母の大きな負担になりかけていたのだろう。しかし、自分よりもはるかに若い京子に自分から頼むことには抵抗があったのか、おくびにも出さずに、少しでも自分の負担を軽くするために、食事の依頼をしたのではないかと、今になって思う。