ALS 

「僕のことは考えなくていい。君自身が納得できる生き方をしてほしい」

生命維持装置の装着の決断をした後も、数日間悩み続けた。最終的には京子の決心に寄り添うだけだと決めてから伝えた。しかし、自分の希望が京子の決断に、あまりにも強い影響を及ぼしたかもしれないと思った。

「私、生きていてもしょうがないかなぁ~」

私の言葉を聞いた京子が暫くしてつぶやいた。それは、これから一緒に生きていく私に対する重い覚悟の問いかけだった。それに対して懸命にフォローする、僕には君が必要なんだ、という自分の立場ばかり伝えたかもしれない。言語として正確にどう答えたか、私は思い出せない。

「五年後には治療薬ができるかもしれない」

これが妻の最終の答えだった。

私も最終決断をした。希望が持てなければ生き続けることはできない。そう考えて、京子に同意を得て事を進めた。その結果、食べ物は胃瘻から、空気の取り入れはTPPV方式の人工呼吸器からという状態になった。身体は弱り、もはや京子本人の意志で動かすことはできない。本来は自分の意志の支配下にある全ての筋肉が蝕まれていく。

将来、目蓋が開かなくなった時、京子の自分の思いの表現が、完全に自分自身の中へと閉じ込められてしまう。抗弁する機会も与えられず、私も含めた他人のすることを、暗闇の中で、諾諾と受け入れていかなければならなくなるかもしれない。そうなっても、感情だけは正常に生き続け、でも何も言えず、口惜しさと苛立ちを背負って、生きていかなければならない。誰も止められない京子の生命維持装置は正確に動き続ける。

生命維持装置の装着を進めた私の責任を考えると、絶対、妻より先に死んではならない。京子と共に苦しみを受け止めなくてはならないと思った。

私は京子と共に、自然死に離別を告げ、生命維持装置の装着を決断した。再び死に向かうベルトコンベヤーに乗り、改めて「決心」の確認をしていた。

「決心」、「実行」、「継続」

遠い昔の学生時代に恩師がくれた言葉を、的外れと知りながら、自分の中に蘇らせていた。

とにかく二人で何があっても生きると「決心」して、生命維持装置の装着を「実行」した。それでも生きて、まだまだ生き続けて、もう「継続」しかないと思った。途中での修正の選択はない。

それは、出口のない私達の不安と、責任感に対する心の葛藤の始まりになった。暗い底に沈んでいく気持ちを引きずり上げて元に戻し、妥協案を提示して、自分の心の命を繋いでいくことが繰り返されていく作業になっていった。

将来のことをいくら綿密に考えても、その時がくれば、多くの矛盾に気付く。整合性のかけらさえなくなっていて、結果的に自分の見通しがいいかげんであったことが、今までの私の人生にたくさんあった。だからこれ以上深く考えまい。つまずいたなら、そこで考えればいい。少なくとも最後には「するかしないか」「YESかNOか」の選択肢は、必ず残っている。

人は無意識のうちに、しかも瞬時に多くの深い瞬きを「一回するか、二回するか」して生きていると思った。