総掛かりを命ずる法螺貝の音が辺りに響きわたり、この騒ぎに驚いた鳥たちが一斉に夏の空に飛び立った。茶臼山の本隊は長慶様の馬廻り衆を残してそのほとんどが山を駆け下り、茶臼山の南に陣取る右翼の之虎率いる阿波衆も河内高屋勢に襲い掛かっていった。

突進して真っ先に河内高屋勢に槍を付けた和泉衆を率いる畠山次郎尚誠と松浦興信の働きは目覚ましく、河内高屋勢でも剛の者として知られた三木牛之助を討ち取るなど敵将四百名を討ち取る戦功をあげた。

「殿、どうやら我らが勝ちましたな」

床几に座る長慶様の傍らで長逸が声を弾ませた。

「まだ早い」

長慶様は冷静に戦況を見つめていた。

案の定、伝令が次々と良からぬ知らせを寄越してくる。

「阿波の篠原雅楽助様、お討死」

「淡路の安宅左京亮様が討ち取られました」

河内高屋勢は副将の遊佐長教が還暦前の老齢とも思えぬ獅子奮迅の働きをみせ、長慶勢の将五十名が次々に討死するという大きな損害を被り、舎利寺周辺は血の匂いで溢れた。

二刻が過ぎた頃であろうか、長慶様の(めい)を受けた十河一存が南から迂回して背後から敵の本陣を突き、河内高屋勢の主将である畠山政国の隊がこれに耐えきれず後退したのをきっかけに、遊佐長教の隊も引き摺られるように崩れ、勝敗が決した。

この時の十河一存の戦いぶりは凄まじく、〈鬼十河〉の異名で恐れられる始まりとなった。

この舎利寺での戦いは双方合わせて二千人もの戦死者を出すほどの激戦となったが、数を(たの)んだ儂ら長慶勢の大勝利に終わった。