「………」

私は昨夜見た静真の、夢にしては生々しい、漆黒の瞳を思い出した。何故か心臓の鼓動が速くなった。

「ああごめん、変な話をしたね。それより、今日は大事な話があるんだ」

私の沈黙を「呆れ」と勘違いした海人は、鞄から小さな灰色のケースを取り出し、私の前に差し出した。そしてケースをゆっくり開けて言った。

「僕と結婚してください」

絵に描いたような、いや、まさに絵になる完璧なプロポーズであった。私にはいつかこの日が来ることが分かっていた。「その時」が来たらシンプルに「はい喜んで」と答えるつもりでいた。しかし「その時」がきた今、何故か腋の下からはじっとりと冷や汗が流れていた。心臓の鼓動はますます速い。

「なほ子さん?」

「あの……まず親に相談してから返事するわ」

気がつくと私は、自分でも驚くようなセリフを口にした。

「え? 何言ってるの? 親御さんは俺達のこと、とうに知ってるだろ?」

「そうなんだけど、あの、父に、海人さんからプロポーズされたら相談するように言われてて……」

「意味が分からないな。俺と結婚したくないのか?」

「そういうわけでは……」

言いながら私は息が苦しくなっていくのを感じた。フォークを持つ手が震えて気分が悪い。

「……アイツのせいか?」

普段は声の大きな海人が小さく呟いた。

「え? アイツ?」

私は(誰のことだろう)と思い、海人の顔を見返すと、彼は目を逸らし、「顔が真っ青だ。……今日はもう帰ろう。送っていくよ」と言った。

「ごめんなさい……」

海人にタクシーで送ってもらうと、私はすぐに自分の部屋に引きこもった。何故あんなに動揺したのだろう。自分の反応が信じられない。きっと、いざ結婚となると心の準備に時間がかかるものなのだ。いよいよ独身時代が終わるのだから、多少動揺してもおかしくはない。私はそう自分に言い聞かせた。とにかく今日はゆっくり休んで、明日の朝、プロポーズを受けると海人に電話をしよう。