仲井眞県政の元幹部は「率先垂範を旨とする仲井眞流の哲学は、県庁組織に緊張感を与え、組織の活動能力を最大限引き上げていった。例えば沖縄振興という最重要課題を共通目標として組織内に日々提示し浸透させた。知事自らが先頭に立ち目標に向かって行動、挑戦する姿は過去のどの知事とも異なっていた」と述懐している。

知事のトップセールス=直接行動は、国内だけではなく台湾や韓国、香港など東南アジアからアメリカなど海外に広がり、仲井眞県政8年間ではおよそ7万人という膨大な新規雇用を創出した。

アメリカ国内での企業誘致活動は、本書のインタビューで初めて公にされた事実なので若干触れてみる。

仲井眞県政は二期8年の間に合計4回、アメリカを訪問している。2009年1月と11月、11年9月、12年10月の4回である。いずれも米軍基地問題解決の要請行動だ。

一方で、仲井眞自身と同行した県庁スタッフの面々は基地問題に全力を傾注する傍ら、懸案だった企業誘致活動にもエネルギーを注いでいた。仲井眞によれば、アメリカ西海岸では各地で幾つかの企業を訪ね沖縄への企業進出を要請した。仲井眞と県のスタッフが手分けして訪ねた地域には世界的に知られたロック・ミュージシャン、エルビス・プレスリーの故郷、米国南部のテネシー州ナッシュビルやメンフィスも含まれている。

 

だが当時のアメリカ産業は、人口13億人を抱える巨大市場の中国にしか目が向かなかった。時代の流れは巨大市場をもつ中国へとなびき、中国と同じアジアの経済圏に同居する沖縄自体は狭小なマーケットのせいでアメリカ産業には素通りされる形になった。

とはいえ企業誘致と産業振興に全力で取り組む仲井眞県政が、世界のトップに君臨するアメリカの各種産業に必死にアタックした事実と熱意は特筆されていいだろう。

グッジョブ推進運動と関連して、初代推進室長だった城間勇雄の活躍は特に印象に残っているようだ。

知事と二人三脚でグッジョブ運動を牽引した城間について仲井眞は「県内外で実によく働いた彼のおかげで、失業率改善の運動は順調に回転してくれた。ほかの県庁スタッフともども表彰に値する」とねぎらった。