そして、午前の試験後、午後の試験を諦めて帰ろうとした時に見知らぬ若者から声を掛けられて、午後の試験に臨んだことを説明した。

「神様の贈り物のような話だね。その若者がいなかったら今日の食事はなかったということか。人間、努力する者に味方する。いい話だ。その若者を探したいですね」

「神奈川の受験者は数千人で全くわかりません。彼が合格したか否か。合格していると良いのですが」

「君が合格したことが本当にうれしい。定年後に資格試験を受けようと考える者が少ない中で合否を抜きにして受験しただけでも偉い。合格したのだからもっと偉い。これから如何する予定ですか」

心から私が合格したことを喜んでいることがわかる。

「事務所を持って、もう一旗揚げたいと思っています」

「いいですね。フレッシュマンですね。頑張ってください。身体の方は大丈夫ですか」

頑張りすぎて、心臓の方が疲れている毎日であり、ちょっと歩くと胸に痛みが走り我ながら無理のしすぎかなと思うことが多い。でもそんなことは言えない。

「絶好調ですよ。合格して倒れていたらみんなに笑われます」

「無理は禁物です」

以前から私の病状を心配して、時々連絡をくださる上司である。私の体調の話等で食事は終わった。彼は、私と違って、紳士であり食事中も腰を伸ばし理想的な姿勢を保ち続ける。彼は帰り際、会計窓口の担当者に言葉をかけて一緒に外に出た。

「また、一旗揚げたら、食事を一緒にしましょう」

綺麗な日本語で最後の挨拶をされた。私は、深々と礼をしてお別れの挨拶をした。

定年後に合格したことを、高く評価してもらい、我ながら歯を食いしばり頑張ったことが良かったと改めて思い、若年時と高齢期(定年後)の違いについて考えた。小、中、高、大と恵まれ、当然のように過ごすことが出来た。卒業となり少ない情報の中から将来の進路を決め社会に飛び込むことになる。

飛び込んでみると、外と中では大違い。情報が多い現在であれば、会社情報が多く現役の社員情報も確認することが出来て充分に選択できる。私たちの時は、大学紛争時で入社前の情報は、夢のような話が花盛りで現役社員の正当な情報を得ることは難しかった。

一旦入社すると、自他ともに終身雇用の雰囲気が強く、転職者は少なかった。転職した者でも、あとは単線で、ある程度作られた線路の上をスピードの強弱はあれども「定年」という駅までまっしぐら。