「いい香りがするね」と背の高い金髪の白人男性が連れの東洋系の女性に言った。

「あのマリア様の手の白い花の匂いよ。あれは私の国、フィリピンの国花で、サンパギータって言うの」と、日本人とは異質なエキゾチックな顔立ちの女性はきれいな発音の英語で答えた。

へー、あれがフィリピンの国の花なのか。それにしても、なんてさわやかな匂いなんだろう。正嗣は(しば)しの間サンパギータの香りに酔いしれた。

入国手続きと税関検査を終え制限エリアから出ると黒山の人だかり。その中に「晝間様」と書かれた紙を持って立っている現地人らしき男の姿が目に入った。口の回りにヒゲを生やし、結構太っている。

「GHフィリピンの方ですか」と英語で聞くと、「はい。晝間さんですね」と日本語で確認された。迎えに来てくれたのは、GHフィリピン業務部アシスタントマネージャーのガブリエル・ポンセだった。正嗣も業務部配属となるので、同じ部署のスタッフだ。

風貌が相撲取りの荒勢にどこか似ており、ガブリエルではなく〈ガブリ寄り〉じゃねぇのという印象の男だが、甲高(かんだか)いかすれ声で結構流暢な日本語を話す。聞けば、日本へ二年間留学したことがあるそうだ。

荷物があったので、会社指定の寮に寄ってから出社することとなった。空港を出てしばらく走ると海岸沿いの大通りに出た。ガブリエルはロハス・ブルバードという名前の通りだと教えてくれた。片側四車線もあるので交通量が多い割には車の流れはスムーズだ。海岸沿いに植えられたヤシ並木は南国情緒を誘い、逆側は近代的なビルやホテルが建ち並び、一国の首都のメインストリートの名に恥じないようだ。

寮はアドリアティコ通りに面した九階建てマンションの七階の一室で、会社が独身スタッフ用の住まいとして借りている。この辺りはホテルやレストランが集中する繁華街で、エルミタ地区と呼ばれているとのこと。

寮の間取りは3LDKで三人まで入居可能だ。三年前から寮として使っており、入れ替わり立ち替わりGHフィリピンの日本人独身スタッフが入ったが、ここしばらくは幾世(いくよ)という先輩スタッフが一人で使っていた。日本からの一週間以上の出張者も、経費削減のため時折ここに泊まるらしい。唯一の荷物のスーツケースを部屋に置いた後、ガブリエルと一緒にGHフィリピン社のオフィスへ行った。

会社はUN通り沿いのボルトンホテルの斜向(はすむ)かいに建つ商業ビルの二階と三階にあった。二階が業務部、三階が総務・経理部及び日本人の社長とフィリピン人の会長用の二つの個室がある。

正嗣のGHフィリピンでのタイトルは業務部のスーパーバイザーで、カビテ州とバターン州の二ヵ所にある工場との諸連絡、海外支社との諸連絡、会社関係の顧客のケア、その他庶務全般で、要は究極のパシリのような仕事だった。

このオフィスのスタッフ数は正嗣が加わった時点で、日本人が現地採用も含め一○人となり、他にフィリピン人が二八人いた。GHフィリピンは、マニラ近郊のカビテ州とバターン州に工員数四百人規模の二ヵ所の工場を稼働させており、それぞれの工場に工場長として日本人スタッフが常駐していた。

初めてGHフィリピンのスタッフたちを前にした時、入社後アメリカのシカゴで二年弱営業スタッフとして勤務していたこと、早くフィリピンの生活に馴染み仕事にも一所懸命に頑張る所存であること、ニックネームのマサと呼んで欲しいこと等、正嗣は日本語と英語で自己紹介をした。