プロローグ

正嗣にとって初めて生活する海外の地、シカゴでの暮らしは、見るもの聞くもの全てが珍しく新鮮でエキサイティングなものだった。

仕事が休みの日には、いつも足が痛くなるまで街中を歩き回った。

摩天楼発祥の地と言われるシカゴには、実にユニークな高層建築物がたくさんある。シアーズタワーやジョンハンコックセンターの他にも、新宿の安田ビルのモデルとなったファーストナショナルバンク、かつて世界一美しいオフィスビルと称えられたゴシック調のシカゴトリビューンタワー、トウモロコシを二つ並べたようなマリーナシティーなど。

それらのビルはいつまで見ていても飽きなかったし、そんな街に今自分は住んでいるんだと思うと誇らしい気持ちにもなれた。

また、子供の頃から絵が好きだったので、シカゴ美術館へは足繁く通った。

ゴッホ、レンブラント、ゴーギャン、ロートレックにルノアール、そしてピカソ。そこには中学・高校の美術の教科書に載っていた絵の現物があった。

吸い寄せられるように近づき、いつまで見ていても飽きなかったのは、スーラの『グランド・ジャット島の日曜日の午後』だった。

数年前に何かの本に載っていたこの絵を見た時、不思議な絵だなと感じこの絵のイメージが心に強く残ったが、実物がこんなに大きな絵だとは知らなかった。

全てが点で描かれていることも驚きだったが、光と影の表現や人物や風景の綿密に計算された配置は一つの世界をつくり上げていた。

大リーグ野球もよく見に行った。主にシカゴを本拠地とするカブスの試合だ。

カブススタジアムは大リーグの球場の中では唯一ナイター設備のない球場だったので、もっぱら日曜日の午後観戦に行った。

球場はいつも満席状態、アメリカはフランチャイズ制が浸透しているので地元チーム贔屓(びいき)は徹底しており、相手チームへのブーイングは同情してしまうくらいに凄(すさ)まじいものだった。

いつも隣に居合わせたシカゴニアンたちと一緒に、正嗣もカブスの選手たちに声が枯れるくらいの声援を送った。

お腹をすかせて入った街中のレストランでは、草履(ぞうり)のようなバカでかいステーキを二~三ドルで食べることができた。

毎朝の薄いアメリカンコーヒーも欠かせなくなり、この街の食べ物は何でも口にあった。寮の近所のスーパーマーケットも大型倉庫のようで、長く列をなした棚は商品で溢れていた。

正嗣にとって何もかもすんなり受け入れられたシカゴであったが、唯一難儀したのが冬の寒さの厳しさだった。マイナス一○度から一五度くらいまで下がる気温に加え、強い風が肌を刺す。

シカゴはウィンディーシティーと呼ばれるくらい風の強い所として有名だが、その冬の強風で体感温度を更に低く感じさせる。正に痛いと言った方が適切なほどの寒さなのだ。そんな冬の外出時にはとにかくたくさん着込むしかなく、用のない時はひたすら暖かい屋内で過ごした。

一年目には我慢できなかったその厳しい冬さえも、二年目からは少しずつ楽しめるようになった。