翌朝目覚めると、クロードはすでに起き出していて隣にはいなかった。カミーユは、どんな顔をして彼に「おはよう」と言えばいいのかわからなかったから、つかの間ホッとした。この朝日の中で、昨夜のことを一部始終思い出す勇気はない。でも、最後にクロードが耳元で囁いた「ジュテーム」だけは、もう一度味わっておきたかった。

目をつぶってもう一度だけ。その言葉の記憶は、みるみる体中を幸福感で包んだ。これからずっとこんな日が続くといい。さあ、クロードに「おはよう」と言わなくちゃ。体を起こしかけたところへ、すっかり身支度も整えたクロードが顔を出した。

「森へ行くぞ」

それ以上、わだかまりを感じる暇もなかった。カミーユは慌ててベッドから降りながら、昨夜の余韻など微塵もないクロードに少しがっかりした。でも、大切なのは制作。クロードの構想を実現することが旅の目的だ。それは、カミーユにとって冒険の始まりのようでもある。

二人して宿のドアを開けると、心のどこかが躍っていた。クロードは、森の中をすごい勢いで歩き回る。ある場所で立ち止まると、向きを変え位置を変え、しばらく辺りを眺めては、また勢いよく歩き出す。一緒にいるカミーユの歩調などまるで念頭にない。カミーユはドレスの裾を持ち上げ、足元を確認しながら歩く。

時折、裾に絡まる草を払い除のけていると、クロードはもう何十メートルも先を歩いている。ふと曲がって視界から消えてしまうこともある。付いていくのが精一杯。森の中で一人になるのも心細くて、息を切らしながら付いて行った。

もしかすると、カミーユが一緒にいることさえ忘れているのではないか。ゆうべ、私だけを見詰めてくれていたクロード。私だけを見詰めて、そして……。今朝はもう、全然違うのね。心の中でささやかな悪態をつきながら、遅れまいと歩いた。

まだ(あさ)(もや)が立ち込める森は、圧倒的な自然の神秘に支配されている。何か不思議な生き物が、木陰からひょっこり顔を出してもおかしくない。クロードと二人、森の中を歩き回っていることも、ひょっとしたら夢なのではないかしら……。カミーユは慌てて、クロードの背中を捕まえようと小走りに追いかけた。

昼前には何カ所か候補になる場所が見つかった。昼食を摂りながら、クロードは自分の構想を話した。

「横は大体六メートル、縦は四・六メートルくらいの作品にしようと思ってるんだ」

カミーユには一瞬、その大きさがまるで実感できない。民家では一階あたりの高さは三メートルもないだろう。そうすると、アパルトマンの二階の庇ひさしより高いかしら。幅は? とにかくそれは、民家の壁などではなかなかないくらいの、途方もない大きさだということだけはわかった。

「森の木漏れ日の中で昼食を摂る人たち。人物はみんな等身大に描く。絵の前に立つと、一面がその世界で占められて、観ている人もその人の輪に加わっているように感じられる絵だよ」

クロードの頭の中には、すでにその絵が存在しているようだった。

※本記事は、2020年8月刊行の書籍『 マダム・モネの肖像[文庫改訂版]』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。