バイオアッセイ

MAF(ミトコンドリア活性化因子)の抽出分離では、小澤哲夫先生の神業に近い抽出分離のテクニックと経験が大いに威力を発揮しました。しかし、それだけではありませんでした。得られた分画にミトコンドリアを活性化する能力があるかどうかを、テトラヒメナを用いて計測した藤原隆史君のテクニックも大きく貢献したのです。

細胞を用いて生物活性を調べることをバイオアッセイと呼びますが、これはなかなか厄介なものです。藤原隆史君はいとも簡単にテトラヒメナを用いて、ミトコンドリアの膜電位を測っていましたが、藤原君の後を継いだ学生たちは大変苦労しました。

彼はごく普通の学生で、いわゆる優等生タイプでもクラスの人気者でもなかったのですが、テトラヒメナとローダミン123を使った、ミトコンドリア活性化の測定をはじめとして、さまざまな優れたテクニックの持ち主でした。小澤先生と藤原君の組み合わせは、MAFの分離抽出と、その後の研究にとって、最高のコンビネーションであったのです。

藤原君はウーロン茶や紅茶から分離抽出したMAFのテトラヒメナに及ぼす効果を片っ端から調べていきました。ローダミン123で調べることができるのは、ミトコンドリアの外膜と内膜の間の膜間腔にどのぐらい水素イオンがたまっているかということです。

この水素イオンは電子伝達系によって、膜間腔にくみ出されたものです。電子伝達系が活発に働くと酸素消費量が増加します。膜間腔にたまった水素イオンがミトコンドリアのマトリックスに流れ込むとき、内膜のATP合成酵素をモーターのように回転させて、ATPを合成します。

そこで、藤原君はテトラヒメナをMAFで処理したときの、酸素消費量とATP産生量を測定しました。その結果、MAFは酸素消費量とATP産生量を増加させることがわかりました。MAFはテトラヒメナのミトコンドリアの酸素呼吸を活性化していたわけです(図表)。

[図表]MAF の可能性。テトラヒメナを用いた MAFの効果の研究から、MAF処理したテトラヒメナは酸素消費量が増加し、ミトコンドリアの膜電位が増加し、 そしてATP産生量が増加することがわかりました。これらの結果から、MAFがミトコンドリアの電子伝達系を活性化すること、ミトコンドリアのマトリックスから膜間腔への水素イオンのくみ出しを促進して膜電位を上げること、ATP 合成酵素によるATP産生量を増加することが予想されました。また、ミトコンド リアの働きが活性化すると、燃料である糖や脂肪の代謝が促進する可能性が示唆されました。さらに、筋肉へのポジティブな効果も予想されました。特に、遅筋化の促進による筋持久力の亢進の可能性です。

呼吸量が増えエネルギーの貯蔵物質ATPが増えると、見てわかる変化がテトラヒメナに起こるのでしょうか?

藤原君はMAFで処理したテトラヒメナの遊泳速度が上昇することを観察しました。理由は、MAFが繊毛基部に存在するミトコンドリアを活性化して、ATP産生量を増加させます。そして、繊毛に多くのATPを供給します。その結果、繊毛はより多くのATPを消費して運動するため、遊泳のスピードがアップすると考えられます。

ウーロン茶や紅茶から分離抽出したMAFが、テトラヒメナのミトコンドリアを活性化することが証明できたので、私たちはMAFの正式な化学物質名称として、テアカプリン(Theacuprin)という名前を付けました。MAFの銅(cupper)のような色に由来します。現在でも私たちはMAFというニックネームを愛用しており、論文でも使用しています。

ちなみに紅茶のなかにはエピガロカテキンガレートから生成する赤色のテアフラビンと、カテキンの重合体である赤いルビーのような色をしたテアルビジンが存在します。

藤原君はMAFの生理活性をテトラヒメナだけを使って研究することに、物足りなさを感じていました。そこで、彼は、哺乳類のミトコンドリアの研究をしている中田和人教授に相談しました。中田教授は「ミトコンドリアは真核細胞に普遍的に存在するエネルギー産生工場だから、きっとMAFは哺乳類の細胞にも効果があるだろう。次はマウスを使って研究すべきだ。できれば糖尿病モデルマウスを使ってMAFが血糖値を下げるかどうか調べたらいいのでは」という、非常に面白い提案をしてくれました。

ミトコンドリアは糖や脂肪を燃料にしてATPを産生しています。ですから、MAFがミトコンドリアの酸素呼吸を活性化したら、糖の代謝や脂肪の代謝が促進される可能性があるわけです。MAFを摂取したマウスでは、血糖値の低下や内臓脂肪の減少が生じるかもしれません。まさに、MAFにはメタボリックシンドローム生活習慣病の予防や治療に効果がある可能性があります(図表)。

議論していると話は盛り上がり、筋肉の生理にまで広がりました。そこで、筑波大学の体育系の武政徹教授にMAFプロジェクトに参加していただきました。武政教授は筋肉生理学の専門家で、長年、トレーニングが筋肉に及ぼす効果を研究していました。

私たちの筋肉には瞬発的な運動に適する白色の速筋(白筋)と持久的運動に適する赤色の遅筋(赤筋)が存在します。マラソンのような持久的運動を行うと速筋の遅筋化が起こり、筋持久力が向上します。遅筋化の過程で見られる現象としては、筋肉の太い繊維を構成するミオシンのタイプの変化、ミトコンドリア量の増加、筋肉で酸素を貯蔵するミオグロビン量の増加、筋肉に酸素を供給する毛細血管数の増加、脂質代謝の活性化、糖取り込みの活性化などが知られています。

MAFはミトコンドリアを活性化し、糖代謝や脂質代謝を活性化する可能性があるので、遅筋化も促進するかもしれないというのが武政教授の見立てでした(図表)。夢はますます広がりました。

私たちは糖尿病モデルマウスを用いてMAFの効果を調べる実験と、マウスを用いた持久的トレーニングによる遅筋化をMAFが促進するかを調べる実験に的を絞りました。

糖尿病モデルマウスに対するMAFの効果は中田教授の指導の下、藤原君が担当することになりました。遅筋化の実験は武政教授指導の下、江口友昭君が担当することになりました。