危険から身を守る必要があるという橋口の話は納得できたので、僕はハンドルネームを考えることにした。

「何でもいいけどな……。拓馬だからタッキーとか、ダメか。んー、山ちゃん、山ピー……、ヤーマン、これでいこう!」

2012年9月、僕は株ブログ「ヤーマンの株日記」を立ち上げた。このブログにトレードが終わったあと、その日の収支を全て書き込んでいくことにした。

2012年12月からはツイッターも始めた。フォロワーゼロなので、誰かが「いいね」してくれるわけではないが、毎日一人、つぶやく。

朝は8時過ぎに起きて、パソコンを立ち上げる。9時の相場開始前に、その日動きそうな銘柄を示す寄り付き前ランキングをチェック、9時から11時半までは前場の勝負。1時間休憩して15時まで後場。

取引が終わったらその日の取引一覧を示す約定履歴を見ながら16時までブログを書く。その後は自転車を飛ばしてラーメン屋「総大醤」に行き、深夜1時まで働く。そんな生活を毎日繰り返した。

2012年10月、iPS細胞の開発によって山中伸弥教授がノーベル賞を受賞した。これを受けて巷では再生医療への関心が一気に高まり、バイオ関連企業の株が大きく動いていた。

僕はディスプレー1枚分を丸々バイオ関連銘柄に割り当てて、株価チャートの動きに注目していた。

11月の収支は、+23万2362円

12月の収支は、+21万1701円

下がっている銘柄を「もしかしたらまた上がるかも」と期待して持ち越して、大きくやられてしまうこともあったが、信用取引の枠を使ってしまうと取引ができなかったので、慎重にチャンスの場面のみ入って取引した。

そのため何とか収支プラスで終えることができた。これならば、1月からの規制緩和の波に乗れば……いける! ひと月100万が見えてきた!

僕の船出は予想通り順調だった。あとは規制緩和の追い風を待つばかりだ。