デイトレーダー「ヤーマン」誕生

デイトレーダーはニート?

「課長、スミマセン。これ、お願いします」

会社の規定通りの内容を記した書類を封筒に入れて、課長の机の上に置く。課長は目を見開いて、僕とその書類を交互に見つめた。

「急に、どうしたんだ」

「はい、一身上の都合で、実家に帰らないといけなくなりまして」

さすがにこの人たちにデイトレーダーになるために退社するとは言えない。出身地の石川県に帰って家業を継ぐという話をでっち上げた。

課長は慌てて部長に相談に行き、僕は会議室に呼び出されて、考え直さないかと説得された。

投資戦略室は使い道のない社員に辞めてもらうことが目的の部署だったから自主退職は歓迎されたが、本店営業部を含む普通の部署で部下が突然辞めるのは、上司が部下を管理できていないということになる。管理職にとってはマイナスポイントだ。

しかし、何を言われても僕の心は決まっていた。

「明日、担当しているお客様の引き継ぎをします。明後日から有給休暇を取ります」

「なんだって!! 有休も消化して辞めるっていうのか!」

「ダメだと言われるなら労働基準監督署に申し出ます」

ただ耐えるだけの場所、営業部の空気はこれ以上1分でも吸っていたくないし、僕はこれから一人、先の見えない大海に出発するのだ。

使えるものはなんでも使って船出の準備をする。そう決めていた。僕の気迫に臆したのか、部長も課長も、それ以上は何も言わなかった。

旧投資戦略室のメンバーや、同期入社の仲間たちには会社を辞める本当の理由、これからデイトレーダーとして生きていくことを伝えた。

「あんなに営業頑張ってたのにもったいない!」

「親は反対しなかったのか!?」

「彼女は反対しなかったのか!?」

「いや、よくあの本店営業部で1年も耐えたよ。オレも会社辞めたい」

「山下ならやると思ってたよ、お前、サラリーマンって感じじゃないよ」

「ま、頑張れ、オレはこの会社で出世する」

「これからもたまには話聞いてやるよ、また飲もう!」

みんな口々にいろいろ言って励ましてくれた。

だが、大方は僕が「組織に所属している人間」でなくなることを心配しているようだった。

ディーリング部で投資経験を持つ人でさえ、個人投資家という組織に所属しない人たちは、未知の生物のように見えるらしい。

僕だって一部上場企業のサラリーマン、という社会的地位を捨てることの恐怖にずっと苛(さいな)まれていた。