もう歩く気もなくなったので、手を上げると幸いにもタクシーは停まってくれた。やれやれと、落ち着き、運転手に聞いてみた。

「今日は忙しかったろう?」

「はぁーい、殆どの車は休みなしで、私などトイレに行く暇もなかったとですばい!」

「それじゃ、好い稼ぎになってよかったろう! なにが幸いするか分からんなぁー」

「まあーねエー」

と言ったが、あとはノーコメント、応えてくれなかった。天神に着くと、帰路の地下鉄も途中迄でしか運転していない。

「姪浜(めいのはま)以西はいつ開通するか分かりません」

と駅員のつれない返事。姪浜からは地上を走るので、JR九州の管轄である。まあ仕方ないか、と此処からまたタクシーの世話になった。

そして、福岡県の南のはずれ、糸島郡の我が家に帰りつけたのは、日が暮れてからであった。妻は一足先に帰宅して、家の中を片付けていた。

段々入って来た情報によると、地震の震源地は玄界島沖方面で、我が糸島半島は二番目にひどかったそうだ。翌日近所の人達から聞いた話では、あの時、みんな外に飛び出て、暫くおろおろとしていたそうだ。家に居なくて良かった、と妻と話し合った。

やれやれ落ち着いて来たか、と思っていた丁度一ヵ月後、四月二十日にも大きなのが襲って来た。場所によっては、前より揺れが酷い所があったとの事。

それで五月も又同じ二十日に揺れるのではないか、と噂が流れたが、これは単なる噂だけに終わった。三回も襲われたのではたまったものではない。