大地が揺れた・福岡沖地震

震度六の「福岡県西方沖地震」からやがて四ヵ月目になるが、まだ時々揺れては当日を思い出させられる。

嘗て、十年前の神戸淡路島大地震の時は早朝で、関西在住の知人の話によると、まだ寝ていたので、下からつきあげられて、体が宙に浮いた程であった。と述懐していたのを思いだした。

私の弟家族は、永年西宮市に住んでいるが、丁度この震災の被害をもろに受けた一家である。あの時はまだ寝ていたとの事、屋根が潰(つぶ)れ家具の下敷きになり、出るに出られず、おまけにガスのシュウシュウと漏れる音が聞こえて、ほうほうの体で難を逃れたと言っていた。

あの神戸淡路島大地震の時でさえも、此処福岡の人はそんなに身近に考えていなかったそうだ。私達の家族は、関東に住んでいたし、娘二人はいまだに東京に住んでいるが、何時も地震の事は頭から、離れていなかった。

当時、娘たちはそれぞれ防災頭巾(戦時中は防空頭巾と言っていたもの)を学校に持って行き、日頃は座布団代わりに尻に敷き、いざ地震と言う時は頭に被る訓練をさせられていた。

又都内の大きなビルはそれぞれ非常食なども準備され、周到である。我々庶民も避難袋にカンパンや薬、多少の現金などを小さなリュックに準備し、いざと言う時は持って逃げだせるようにしていた。

微震だけれど、何時もなんらかの揺れはあったので、それだけ関心を持ち又恐れと備えを持っていたものである。

その点福岡は他県の人が羨(うらや)むほど、関心が薄かった。その福岡も今回の地震と余震で、天災、特に地震というものに関して、特別の感情を持つ様になり、今までの考えを少し変えて来たであろうか。

先日、と言ってもそれは三月の終わり頃の事だったろうか。ある会合に出席した折、

「もうあれ程の地震は来ませんよ、あれで終わりですよ。福岡はもともと地震はこない所ですから」

と飽くまで今回は偶然だと言わんばかりに、自信満々に、しゃべっていた人がいた。

しかし、又四月二十日に襲って来た。場所によっては前回よりも、怖かったと言う人もいた。さて、今後再び襲来するか。博多っ子は「のぼせもん」と言われる程、熱中するが、直ぐ忘れっぽい、所謂、熱しやすく冷めやすい性格である。