殺人犯に求められる反省行動

刑法の条文のことは横に置いて、まず、誰かが殺人を犯した時に、どんなことが犯人に求められるか、という検討からスタートする。二つあると考える。

一つは、殺された人の家族や周囲の人々(以下、残された人々)の、怒りや悲しみとの関連で、犯人に何らかの罰を科し、かつ犯人が何らかの自発的な反省行動を取ること。

これは、残された人々の気持ちに関わる問題で、残された人々と犯人の間で整理が必要(以下、課題1)。

もう一つは、犯人が再度殺人を起こす可能性がある危険な人(虐待の報道などを踏まえると、他人を傷つけるのを喜びとする人が、ある程度の割合で存在する)の場合は、犯人を隔離したり治療したりして再犯を防止すること。

これは、犯人以外のすべての人々と犯人の間で整理が必要(以下、課題2)。

本来、これら二つの課題は性質が違うので分けて整理することも考えられるが、刑事裁判では、一つの判決(国による刑罰)で整理する。

刑法第三十八条(故意)第一項には「罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。」、第百九十九条(殺人)には「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。」との規定がある。

再犯の防止

まず、課題2。ここで求められるのは、犯人に、再度殺人や傷害事件を起こすような強い性向があるかどうかで、隔離や治療などの適切な処置(罰というより処置)を行うこと。

意思決定する本人が意識的に意思決定・アクション選択をしたと思っている場合でも、決定の拠り所は本人がコントロールできない違和感である。

思い当たる動機があったとしても、それが犯行にどの程度影響があるのかは、本人にも他人にもわからない。あれこれ動機を推測しても、隔離などの処置には有効でないだけでなく、適切な対処を妨げることもありうる。

例えば、やむにやまれぬ背景があって(と動機を推測して)、殺人を犯したと判断したが、実は、隠れた傷害性向があり、自覚無しに機会をうかがっていたとか。

あくまで、犯行に関わる事実(過去こういう言動があった等の履歴も含め)と、医師による診断結果(犯行時点で責任能力があるかどうかではなく、犯人の再犯可能性に関わる傷害性向等の診断)、過去の犯罪者への処置とその効果に関して蓄積されたデータに基づき、バイアスをかけることなく、処置を判断するのが妥当なように思う。

自分の意思決定・アクション選択を自分が意識的にコントロールできているかいないか(故意か否か、犯行時の責任能力の有無)は、ここでの本質ではない。

犯人に対する気持ちの整理

課題1ではどうだろうか?

残された人々にとって、なぜ殺されなければならなかったのか、犯人は自分のしたことについて今どう考えているのかを、犯人に語らせあるいは態度で確認し、犯人に対する気持ちを整理することは、決定的に重要だ。

残された人々の気持ちの整理にあたっては、人間は、自分の意思決定・アクション選択は意識的にコントロールでき、それに責任を持つものだ、という日常レベルの考えが普通は前提になる。

1章で分析したように、この日常レベルの考えは幼児の頃から編み込まれてきている。残された人々の犯人に対する気持ちは、その編み込みと相関する。

例えば、犯人が、やむにやまれぬ理由で殺してしまったが、悔恨に苛まれていると話す場合と、誰でもいいから殺したかったと言う場合。

残された人々の中のある人は、厳格にルール遵守することを編み込んできた人で、理由の如何にかかわらず、一定の罰を科すべきと思い、またある人は、犯罪寸前のところまで追い詰められた経験があり、悔恨に苛まれている場合は、罰を軽くすべき、と思うということはあり得るだろう。

さて、もしここで、ある人が、自分の意思決定・アクション選択を意識的にコントロールできない、という反省レベルの考えを持っていたとしたらどうだろう。気持ちの整理に、日常レベルの考えは影響を与えなくなるか?

必ずしもそうはならないだろう。日常レベルの考えで編み込まれた責任・罰に関わる記憶が残っている以上、日常レベルの考えが全く影響を与えなくなるとは言い切れない。

犯人の話を聞き・態度を見たうえで、気持ちを整理する時に、日常レベルと反省レベルの両方の考え(とそれぞれに付帯する快不快情報)が作用することになる。

ただ、反省レベルの考えを持っている人は、責任・罰を課すという気持ちよりも、課題2にある処置を重視する可能性は高いと思う。

残された人々の犯人に対する気持ちの整理は、犯人の説明や態度と、課題2の整理結果の両方を踏まえてなされるのが自然だ。

刑法第三十八条(故意)の「罪を犯す意思がない行為は、罰しない。」という規定を文字通り読めば、故意か過失かの推定次第で判決に大きな差が出ることになる。

自分の意思決定・アクション選択を意識的にコントロールできないという現実と、故意か否かを問うことの溝は深い。

では、どうしたら良いか?

自分の意思決定を意識的にコントロールできない以上、故意か否かの推定に基づき刑罰の内容を判断するのはやはり問題だ。

刑法第三十八条は、再犯可能性に基づき処置を判断するよう修正するのが合理的だろう。その場合、残された人々は、少なくとも、当該修正の背景・理由を知ったうえで、気持ちの整理を行うべき。

ところで、死刑は有効な処置だろうか?

死刑にすれば再犯の可能性はゼロになるが、無期懲役でもゼロだ。また、死刑は、更生の可能性を否定してしまうが、1章で見たように、意思決定・アクション判断の基準(=違和感)は、周囲からの働きかけなどで、変更できる可能性がある。

無期懲役では足りず、敢えて死刑を科すことがどうしても必要だとする本質的根拠は見当たらない。

※本記事は、2020年12月刊行の書籍『意思決定のトリック ―身近な体験に基づいた人間理解―』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。