七、天月

この町を訪れたのは初めてであった。海岸からそう遠く離れてはいない小高い杜を従えた場所に鎮座している神社が今日の目的地だった。魔境神社と呼ばれている。都市伝説なのかも知れないが、この神社には、闇の巫女が存在し、裏の願いを叶えてくれるという噂が広まっていた。杜の奥深くには、木に打ち付けられた藁人形がよく発見される。

ある日の夕刻、沈みかけた夕日から一点の光の矢が境内に射し込んだ。風が舞い、季節外れの突風が境内の木々をざわつかせた。境内に一人の巫女が現れた。まだ十代と思われる、整った顔立ちと長い黒髪が印象的だった。境内を三百六十度ぐるっと見回すと、鳥居の上で視線が止まった。

「初めまして、龍神稲荷神社の巫女・天月と言います。突然の夜分の訪問申し訳ありません」

といきなりの低姿勢の少女だ。ただ、間違いなく空を飛んできた。

「私は、キキョウ。闇の巫女と呼ばれています。で、何か用事でしょうか?」

「はい、月姫……月夜野姫さんと陽炎の姫さんに言われて、遊びに来ました」

「えっ、あなたは二人のお知り合いですか? もしかして、伝説の巫女さん?」

「いいえ、私の祖母は伝説の巫女と呼ばれていたこともあったそうですが、今は亡くなってこの世にはいません。私は人です。祖母には及びませんが、少しだけある力を持ち合わせています。あれ、先に来ているはずですが……『雪』さんの長い修行が終わったから、連れて行くように陽炎の姫さんに言われたものですから……帰ってませんか?」

天月は、あたりを見回した。

杜の中からのそのそと一匹の白狐が泥だらけになりながら歩いてくる。

魑魅魍魎ちみもうりょうどもと遊んできたの? キキョウさん、陽炎の姫に預けた子狐の『雪』ですよ」

「『雪』!」

鳥居から飛び降りるキキョウとその姿を見て駆け寄る『雪』。八百年の時を経て再会を果たした。

「これからは、立派にキキョウさんのお手伝いをしてくれるはずです。良かったね」

しばらく、再会の様子を見ていて涙ぐんでいた天月は、キキョウに再び話し掛けた。

「一度身体を見せていただいてよろしいですか?」

「あなたも、こっち系?」

「ちがう、ちがう。痣を見せて欲しいの」

「別にいいけど……」とキキョウは、上半身の衣を脱いだ。

祝詞のりとを上げてみるから……」

天月の祝詞が境内に響き渡る、杜がざわめき小動物たちが顔を出す。

海のさざ波が大波へと変わっていく。

いつの間にか、天空には満月が輝きだしている。

「雪、キキョウさんの体を支えてあげて」

この魔境神社の奥深く祀られている、魔界の門から轟音が聞こえ始めた。地響きが繰り返し繰り返し、まるで蠕動運動をしているかのようだ。地震が発生したかのような凄まじい揺れが襲う。しかし、天月は微動だにしない。天月の体からは黄金色の光が放たれている。繰り返し祝詞を唱える。結界がある境内の地面からは魑魅魍魎や得体の知れないものが湧きだしては、天月の祝詞により浄化されていく。キキョウの体からは、赤黒く異臭を放つ穢れが煙のように湧き上がっては浄化されていく。耐え切れず、片足を着くキキョウ。その目は生気を失いかけていた。
 

※本記事は、2020年12月刊行の書籍『眷属の姫』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。