龍山にあった軍司令部を囲むように、

京城龍山公立尋常小学校(明治38年・1905年・11月創立)、京城元町公立尋常小学校(明治44年・1911年・12月創立)、京城三坂公立尋常小学校(大正8年・1919年・4月創立)、龍山公立中学校(大正7年・1918年・4月創立)、京城第二公立高等女学校(大正11年・1922年・5月創立)

と、5つの学校が、大東亜戦争(太平洋戦争)終了まで経営されていました。

昭和12年(1937年)時点でのそれぞれの児童数は、龍山小で1793人、元町小で1910人、三坂小で1964人、龍山中で1075人、第二高女で1103人となっていました(※数字は『京畿道の教育と宗教』より)。

ちなみに、伯母千枝子も父稔も、同じ京城元町小学校に通ったのですが、昭和16年(1941年)、4月1日時点で在籍児童数1832名、学級数31学級、教職員数35名(元町小沿革史)となっていました。

これらの学校施設に通っていた子供や家族は、のちほど説明しますが、諸事情により、日本に引揚げてから自分たちで安否確認を行わなければならず、その関係で、昭和20年代から交流がありました。

元町小の場合は、次第に生活の安定、交通事情の改善・発展が進むと、入学年度を越えた京城元町小学校同窓会(昭和46年・1971年5月より平成13年(2001年)9月まで開催、最終参加者150名)と、各入学年度ごとの集まりや、個別近隣に住んでいた住民の集まりが、年に数回行われるようになっていました。

また、京城元町公立小学校同窓会第一回ソウル訪問旅行(昭和48年・1973年・5月3日~6日、参加者63名)を始めとして、引継がれた南汀小学校に訪問もして、当時の韓国の学校長や教育関係者とも会い、有志によって買われた学用品の寄贈なども行っていました。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『受け継がれし日韓史の真実 ─朝鮮引揚者の記録と記憶』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。