環は日本の女優も「シェイキ・ハンドの一度も出来れば、男子一生の光栄と思ふ」ほどの絶世の佳人が現れて世間の恋愛事情が一変するような事態となって、世界の外交が一女優によって動かされるようにでもなったらさぞ、面白いであろうと締めくくっている。

女優が男性と歩いただけで醜聞となり、面白おかしく書きたてられる時代にあって、このことは一服の清涼剤に似た自身の所信表明でもあり、数年後にこのことが現実のライフスタイルになろとうとは彼女自身知る由もなかった。

サルコリーと《カバレリア・ルスティカーナ》

明治四十四年十二月の帝国劇場芝居案内をみると、十二月十五日より毎日四時半開演として七つの女優劇の演目が掲げられ、この四番目に「歌劇カバレリア・リスチカナ」がみえる。(22)(23)

付記して「帝劇専属女優二十四名中心となり、沢村宗之助、藤沢浅二郎の両優補導として出勤、その他男優十数名加入、尚ほ歌劇には女子歌劇部員七名、新たに出場のほか、伊太利より来朝のザルコリー氏我が柴田女史と倶に出場、未曽有の事なり」とある。翌一月三日まで上演された。

《カバレリア・ルスカーナ》は邦訳の台本解説書によると題名は「カヴレリア・ルスチカナ」とあり「野人の意義」と訳されている。(24)

その後も「田舎の武士道」その他の訳も出たが「カバレリア・ルスティカーナ」とする原名が親しまれている。

同書によると

「今回上場されるは、サントッアがトリードに嫉妬心を述べ、却って其身を棄てらるゝに至る。人間の感情が恐ろしきばかり高潮に達せる件を選みたるものなり」

としている。