「蝶々夫人」のプリマドンナ三浦環。
最近では朝ドラ『エール』にも登場し話題となりました。
本連載では、オペラ歌手として日本で初めて国際的な名声を得た彼女の生涯を、音楽専門家が解説していきます。
音楽評論家・田辺久之が、近代の日本において新しい女性像を作り上げた「蝶々夫人」のプリマドンナ三浦環を徹底解説!三浦環の華々しくも凛としたその生涯をお届けします。
サルコリーと《カバレリア・ルスティカーナ》
邦訳台本の一部を挙げると次のようである。
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サントッア
トリードさん、待って頂載、待たないの?それぢゃあなたは私を見捨てる気?
トリード
何故貴様は己が去れと云ふのに、己に尾いて来るのだ?
サントッア
イヽエ、トリードさん。
トリード
何故一体貴様は己の跡をつけるのだ!!!
サントッア
マアお待ちなさい、それでは、貴方は私を遂に捨てる積りなのね?(之より男声女声二部合唱となり)聖き教会の門に迄も人の心を疑ひて探ぐるか疑ふか。
サントッア
否、トリードお待ちなさい。(男声女声二部合唱となり)否、トリード待て!(男声女声二部合唱)
トリード
疑ひて〳〵〳〵、人を探ぐるか、(此時オーケストラにてサントッアの苦悶を奏出す)
サントッア
貴方を愛するサントッアが涙を以て貴方に願ふに、貴方はサントッアを逐い去らしめなさるか。(此の独唱終はらざる間にトリード歌ふ)
トリード
行け、また己に無駄に口をきかせるか、行けと云ふのに何故行かぬ。
サントッア
否、トリード、今少し待って!
トリード
人に罪を被せてから後で後悔しても駄目な事。
サントッア
トリード。トリードエヽ煩さい!
サントッア
トリード待って!
トリード
行け。
サントッア
否。
トリード
行け。
サントッア
トリード。
トリード
行け。
このようにトリードの激しい言葉とサントッアの嘆願がくり返されるうちに、音楽急調し、サントッアの「アヽ、汝! 偽善者のトリードよ。幸ある復活祭の此日、次を呪ふ、汝を呪はんとす」との絶望のアリアで幕となる。
(25)このレコードは柴田環が帝劇在任中の明治四十五年に日本蓄音器協会により録音され環がシンガポール滞在中の大正二年二月に発売された。東京朝日新聞の大正二年二月二日付広告にある。(倉田喜弘)なお、商標名ニッポノホンの両面盤レコードの定価は一円五十銭でA面(一八八六)に柴田環の「夜の調べ」(グノー作曲、近藤朔風訳詞、セレナータで知られている)サルコリーの「蝶々夫人」(プッチーニ作曲、愛の家よさようなら)B面(一八八七)にサルコリーの「リゴレット」(ヴェルディ作曲、女心の歌)、サルコリーと環の二重唱「カバレリア・ルスティカーナ」(マスカーニ作曲、ノンノ・トゥリッドウ)が収録されている。(堀内敬三)なお、CD盤「伝統のプリマ、三浦環」(ヴィンテージSYC一〇〇一)のテキスト(クリストファ・N・野澤)によると、「サルコリーの独唱は当時Americanのレーベルのものを確認したが、三浦環が最初に、どのレーベルで出たかは不明である」としている。
(26)佐藤紅緑「松井すま子と柴田環」(中央公論第二十七巻第七号)明治四十五年七月 一三五ページ
(27)有島壬生馬「ソプラノ・リリコに適した柴田夫人」(中央公論 第二十七巻第七号)明治四五年七月一三二ページ
(28)この写真は、絵葉書にして、二枚一組六銭で銀座松本楽器店から発売された。(音楽界 明治四十五年月号 六一ページ
(※1)サルコリーの晩年期を献身的に尽くした愛弟子長島徳子嬢〈本名とく〉に遺言状が残されている。(平成十四年四月二十九日於茨城県新治郡玉里村(現小美玉市)取材による。