4 銅鏡の種類

舶載鏡は、全て中国製である。仿製鏡(倭鏡)は、中国製を粘土に押し当てて型を作り、模倣して国内で作られた鏡であまり精巧でない。同笵鏡は、同じ工房で、同じ型によって作られた鏡である。中国産の同笵鏡と国産の同笵鏡がある。

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5 卑弥呼は、鏡をどのように使用したか

卑弥呼に下賜された鏡はどのような使い方をされていたかは、確認されていない。通常考えられることは、下賜された百枚は優先的に有力同盟国と準構成国及び非同盟国の有力者に一国一鏡を配布しただろうということだ。神々にも奉納しただろう。

例えば沖ノ島の神には、航海が安全無事に帰国できた時に、神への感謝として奉納されたこともあり得たであろう。卑弥呼は『魏志倭人伝』によると、「鬼道」に長けていて、大衆を惑わすと書かれている。

ここに卑弥呼が鏡を使っていたヒントが隠されている。※ここでいう鬼道とは、生命の根源である太陽神を絶対視する太陽祭祀のことで、太陽の力を借りて農暦すなわち稲作りの暦を作ることである。そしてそのノウハウを使いこなす能力の持ち主の女王・卑弥呼(日巫女)がいたことを意味する。

当時の倭国では、銅鏡は首長クラスしか所有できない大変貴重なものであった。中国では、役人、庶民は高額の金を出して購入していた。いわゆる家のお守りとして、飾られていた。もちろん表側の鏡面を使って画像を見るのにも使用されていたと思われる。

三角縁神獣鏡の形状は、倭国だけにしか存在しない鏡で、皇帝が卑弥呼に授与するために特別に作った鏡である。卑弥呼は、太陽の光線を鏡に反射させて、太陽の光を自由に操り、大衆を驚かす道具として使用していたと思われる。

究極の使用方法は、魔鏡(照魔鏡)としての利用である。室内に太陽を取り込みその光を鏡面に当て、背面の神像、獣像が壁に浮き上がって現れるという、最高の技術によるトリックの効果を部下に見せ付けて驚嘆させ高度な求心力を得ていた。

葬送儀礼での利用として、大王たちの不老不死の欲望を満たす副葬品とした。魔除けとしても使われた。

福岡県糸島市の平原弥生墳丘墓から三十九面以上、京都府の椿井大塚山古墳三十七面、奈良の黒塚古墳は三十四面以上発掘され、政治的・経済的な力を誇示しているようだ。埋葬形式は、棺内遺骸の上部に一枚、残りの全ては、棺の外を取り巻くように背面を外向けに立掛けていた。