東京:フェリーでの逃亡

節約生活は今に始まったわけではない。恐らく今に至るまで生活レベルはさほど変わっていない。八王子で水商売をしていた頃はおよそ月収七十万円だった。

自炊はしなかったもののどこへも行かなかったし、何も買わなかった。金の心配をすることなく生活できたというだけで、実際の生活は今までと一緒だった。実家を出てからの貧乏生活が沁みついてしまっているのだ。

そのくせ私は舌は肥えていた。北海道の魚屋で働いていたこともあり、職場の先輩やお得意さんと色んな店で食事をすることが多かったからだ。

それともう一つ。札幌にいた二十代前半の頃は自分の家に誰かが来てくれるということを心底望んでいた。

「蓮ちゃんが作る料理は美味しいから、蓮ちゃんの家で飲みたい!」

そう言って欲しいがために相当料理の勉強をした。美味い物が食べたかったのではなく、人恋しかったのである。酒は皆が各自持ち寄ったが、つまみは全て私の手料理だった。

まるで我が家は居酒屋だった。それがある日突然、ぱったりと誰も来ない抜け殻の家に変わってしまった。きっかけは転職。人間関係とは儚いものだ。

寂しさを埋めることは不可能だった。毎日飲み歩き、仕事もサボるようになり、有り金を全て使い果たし、多くの人を傷付けたまま、テントと身の回りの物をまとめて小樽から新潟行きのフェリーに乗った。

不思議なことにその時の自己嫌悪はそれから数年経たないと襲って来なかった。
 

※本記事は、2020年12月刊行の書籍『破壊から再生へ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。