その瞬間、僕は悟りを開いたような気がした。世の中は矛盾やうまくいかないことが多すぎる。それは世間の根本的な考え方が間違っていたからだ。その考え方とは、個人よりも集団を優先するという考え方である。

僕は真実に気づいた瞬間、今まで何年かけても答えにたどり着けなかった悩みが、一瞬で解けてしまった。世の中は、何もかもうまくできているのだ、そう思った。高校一年生の頃、父親が仕事のし過ぎで不眠症となった。母親はなぜか父は躁うつ病だと確信した。母親は職業柄その類の疾患に理解があったため、ショックを受けたり、差別するようなことはなかった。

すぐに病院に連れて行き、入院させた。しかし父親は、はじめは納得していたが、病院での人間と思われていないようなひどい扱いに失望し、やがて怒りの感情が高まり、退院してから、やっぱり自分は躁うつ病ではなかったと母を責めた。それから二人は仲が悪くなり、別居した。

僕は母親と一緒に住んだ。母親は、もう父親の病は治っているのに、躁うつ病、すなわち双極性障害だという定義にこだわり続け、僕にあるときこんなたとえ話をした。

父親と母親が一緒の部屋にいて、その部屋の窓が開いていたとする。そして窓から虫が入ってきている絵を描いた。そして、母親が「虫が入ってくるから窓を閉めて」と言うが、父親は「窓は開いていないよ」と言う。今の状態はこんな感じだと説明してくれた。

僕はすぐに、窓が開いているとは限らないと思ったが、何も言わなかった。母親は仕事と家事の両方をやっていてとても忙しそうだった。が、僕は家事を手伝わなかった。別に僕に暇がなかったわけではない。ただ、手伝ってくれとも言われなかったし、手伝うとも言いづらかったのだ。

僕は毎日罪悪感を覚えていた。しかし、それも良いと思う。やがて別居の生活にも慣れ、もう元には戻らないようだった。しかし僕は、両親が離婚したからといって、別に自分は不幸だ、などとは思わなかった。

夏目漱石が『吾輩は猫である』の中で、将来、夫婦は別居するのが当たり前になるだろう、というようなことを書いていたのを思い出していた。それは悲観しているのではなく、親から子が自立していくように、夫婦も配偶者から自立していくのだ、という意味だと思う。

ただ、欲を言うなら、うちの場合は、お互い許し合ったほうがいいと思う。