三上哲夫はかつてプロテスタントのキリスト教の洗礼を受けたこともあるが、献金、献金で一神教のキリスト教にはいささかの疑問を持っていた。日曜日であっても仕事があったし、自宅から遠距離にある教会に通うことには苦労もあった。加えて、教会の財政難により献金、献金との声が強かったことなどから、キリスト教から離れた。

貧困のため大学に進学できなかった三上は、かねてより大学で学びたい思いがあったが、三上はわが家が継いできている仏教について学びたいという動機もあった。そこで、京都にある仏教系のB大学の通信制に行くことにした。通信制へ入学するのは簡単である。

だが、卒業するのは至難と言ってもよい。入学者の一割くらいしか卒業しない。多くの人は脱落するのだ。

三上と板橋が知り合ったのは、B大学であった。時には、机を並べて勉強した。残念ながら真面目な勉強ぶりだけではなかった。机を並べて居眠りをしたこともある。

大学の授業を終え、名古屋方面へ帰る新幹線は楽しかった。三上と板橋は缶ビールを飲んだ。つまみは竹輪、スルメ、豆菓子などである。

三上は板橋より3歳年下であった。二人が次第に親しくなった時、三上に対して板橋は自分の生い立ちを話した。板橋は若い時、東京府中市の東芝工場で働いていたこと、中古の自動車やオートバイを買い、それを修理して乗り回して遊んだこと、九州の五島列島が生まれ故郷であることなど。親密度が増してくると、時々飲食をともにした。

いっぱい飲むことが楽しくなった。名古屋の鶴舞公園近くの人気ビアホール名古屋浩養園で飲んだ。そこへは何回も行った。支払いは原則割り勘であったが、板橋がおごることが多かった。

二人の共通点はビールが好きであるという点もあるが、マイカーが極度に古い型式のトヨタ・コロナであったことであった。バスの日帰りの行楽に出かける点も共通点だ。