藤井環夫人は家庭生活にやや疲れがでたのか或いは前年十月招聘されたメゾ・ソプラノのシャルロッテ、フレック(一八七八~)の美貌と瀟洒な立ち居振る舞いに比較されたためか評はよくなかった。

めフレック嬢と藤井夫人の聯合の部分と祈禱の文句とは原語の儘にて歌い、合唱に入りて邦語の「天の岩戸」となるは如何にも窮策と見えて面白く無い、、何とか工夫の仕方があるだろうと思はれる。原詩の儘で歌ふなら兎に角にも邦語の歌詞を配する以上はあまり歌詞を軽視するのは宜しくない。フレック嬢と藤井夫人の聯唱は二人ともマチマチで面白くない。特に両者表情に統一がない様に思はれた。比較しては少し酷ではあるが藤井夫人の声は余りに平板で音量に乏しく一本調子の嫌いがある。特に表情と言ふ点今一層の注意を払ふ必要があると思ふ。(63)

とあり、評者の関心がフレック嬢にあることがわかる。

それにしても「エホバは神なり」の意味をもつ「エリア」と天照大神の「天の岩戸」を結びつけるあたり、さきのエウリディーチェを特に百合姫と訳した石原小三郎に似て乙骨三郎らに訳詩の使命感と意気込みがうかがえる。

明治四十一年十一月二十八・二十九日、第十九回秋季音楽演奏会において環はペイン夫人と共にブルッフの「美はしきエレン」を歌う。このブルッフの作品二四の合唱曲は元来ソプラノの「エレンの歌」とバリトンの「エドワードの歌」を独唱とし、合唱と管弦楽で構成されたものである。乙骨三郎が作歌しているが、独唱部を訳詞で歌ったかドイッ語で歌ったか不明である。ペイン夫人とあるところをみるとドイツ語ではなかったかと思われる。

この日の環の評も前回同様、表情が悪く声も一本調子で味がないというものであった。当時の音楽評は印象批評の傾向が強く、評者が一旦思い込むとその論調は同じになってしまう。この日は独唱、独奏者ともきわめて出演者が少ない。藤井環助教授のほかにハイドリッヒの名前がみえるくらいである。前回まで出演した幸田延やユンケルの名前が見えないのも寂しい。