近代の日本において新しい女性像を作り上げた「蝶々夫人」のプリマドンナ、三浦環。最近では朝ドラ『エール』にも登場し話題となりました。本記事では、オペラ歌手として日本で初めて国際的な名声を得た彼女の華々しくも凛とした生涯を、音楽専門家が解説していきます。

御前演奏

環はその自伝でイギリスのコンノート殿下訪日の折、御前演奏をして御褒めの言葉を戴き、署名入りの写真を頂戴したと語っている。(53)

本科在学中としているが、イギリス皇族アーサー・オブ・コンノート殿下(一八五○〜一九四二ヴィクトリア女王第三皇子)が来日したのは明治三十九年二月十九日のことであるから環の研究科二年の年である。

この年研究科声楽二年在籍は彼女一人であった。入京の翌日コンノート殿下は皇居に参内し、明治天皇にガーター勲章を献呈している。『渋沢栄一伝記資料』によると二月二十四日歓迎会とある。(54)

殿下の来日はわが国の外交経済の苦境打開のため政府、民間をあげての一大イベントであった。歌舞伎座の座席は改造され、渋沢栄一らの帝国劇場創設への動きはこうした時勢が背景となっている。

静岡市旧家に伝わる『藤沢甚助日誌』には三月十三日にコンノート殿下再び入京にて通過、とあり地方でも殿下訪日の話題で賑わった。前年の、ドイツ皇族カール・アントン・フォン・ホーエンツォレルン殿下の御前演奏については「五月初旬、独逸国皇族本校ニ臨御ノ際職員及生徒ノ演奏ヲ催シタル等…」という記録が見られる。(55)

環は本科三年の明治三十六年秋、昭憲皇太后(一八五○〜一九一四)が東京音楽学校にお成りの際奏楽堂で御前演奏をしている。独唱曲はメンデルスゾーンの「ジェルサレム」でユンケル指揮のオーケストラ伴奏であった。この日環は出演記念に皇室から羽二重一匹を下賜された。これら多くの御前演奏の経験がやがて世界の檜舞台での活躍の下地となったことは確かである。

(54) 『渋沢栄一伝記資料第三十五巻』五八五ページ(竜門社 昭和四十六年最終巻刊)
(55)前掲書注48『文部省第三十三年報』一五○ページ

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『新版 考証 三浦環』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。