一度だけ父と大喧嘩をしたことがあります。朝から酒を飲み、仕事ができないのです。お酒を旋盤加工から出た鉄の削りかす(ダライ粉)の中に隠し、こっそり飲んでいました。

私もあまりの歯がゆさから、「朝から焼酎ばっかり飲むな!」と腹を立て、思わず父を投げ飛ばしました。父は地面に転げました。

その時、父の顔を見たとたん、アッと思いました。父はこんなに弱っているのか、とその瞬間、言い知れぬ思いがこみ上げ、私は声をあげて泣いていました。

母もそばで泣いていました。父は「すまん、すまん」と言っていました。この時、これからは自分がしっかり親を支えていかなくてはならないと心に決めました。

中学生になっていた私は、父の代わりに集金に出かけるようになり、自転車で対岸の漁師村や、十キロ、二十キロ離れた漁師の家まで行くこともありました。思うように集金できない時は、せっかくここまで来たのにと、夜空を見上げて、「親父の気持ちもわかるなぁ」と思い、重いペダルを踏みしめながら家に帰ってきました。