そして、これに基づき無限の縁起の結果として現在目の前に生じているものが、運命を含む、自分を取り巻く「環境(※注2)」である。

※注2
政治経済社会などの外部環境ばかりでなく、性別、年齢、性格などの内部環境を含むものである。

この場合、稲盛和夫のいう運命は、この中に完全に含まれる。それゆえ、両者をこのような法則という考え方で統一して見ることもできる。また、緯糸(横軸)に係る法則は、個別・各人別の「因果律(いんがりつ)(因果応報の法則)」である。

すなわち、人生においては、自分の目の前に縁起の法によって生起された環境がその前提となり、それを前提として因果律に従って、どのような心を持ち、どのように生きるのかということが問われている、ということである。

つまり、自己に与えられた環境の下において、自分がどのような心を持ち、考え、行動していくかが人生そのものとなり、そこに因果律が働くこととなる。この場合注意すべきことは、因果律などの法則は、法則なので、人間に同情することなく、また人間の事情も全く考慮することなく、善因善果(ぜんいんぜんか)・悪因悪果(あくいんあっか)という法則どおりの結果をもたらす、 ということである。

したがって、善い人生を送りたければ、常に善いことだけを考え、行動することである。