第1章 幸福

1 幸福の意義

(1)幸福の意義

本書は自己の進化向上によって幸せになることを目指すものなので、ここではまず「幸せの意義」を明確にしておきたい。このために、その反対概念である「不幸」の概念から考えていきたい。

人生において、誰が考えてみても不幸であると一般に思われるものには、「貧しさ、病気、戦争、苦しみ」があり、これらは実存的な不幸である。すなわち、例えば、発展途上国のストリート・チルドレンのように、貧しくてお金がほとんどなく、その日の食事などをやっと間に合わせるような状況においては、現在及び将来に対して経済的な不安も多く、幸せとはいい難い状況であろう。

また、病気、戦争、悩みなどの苦しみがある場合にも、幸せとはいえないであろう。このような不幸の反対の状況が幸せの基礎である。

すなわち、私達が「幸せ」であると感じるときは、一般に次のようなときである。まず、貧しくなく、「適度なお金」があれば、美しいファッションや美味しい食事、さらに太陽を一杯に受け、花々に囲まれた快適な家に住むことも可能であり、幸せも感じやすい。

また、病気でなく、「健康」であるときに、人は幸せをしばしば感じる。元気でスポーツやレクリエーションをし、すっきり爽(さわ)やかになったときや、ハイキングや登山をし、大自然に身を委ねているときは、自然と幸せを感じるものである。そして、「平和」で、悩みなどの苦しみのない「無苦」の状態であれば、自然に心は弾み、鼻歌が出てきそうである。

このように、適度にお金があり、健康で、平和で苦しみのない状況は、確かに幸せの大きな前提であることは、間違いない。しかし、私達が最も幸せを感じるときは、例えば、美味しい食事をしているとき、よい仕事をやり遂げたとき、楽しいことをしているときなど、一般に満足したときや楽しいときである。

すなわち、満足したときや楽しいときに幸せを感じる。なお、この満足感などは、極めて主観的なものであり、本人が満足し、心地よいと感じたときが幸せなときである、という性質を持っている。それゆえ、「幸せ」とは、一般的にいえば、適度にお金があり、健康で、平和で苦しみのない状況で、満足したり、楽しいときに主観的に感じられるものである。

もちろん、病気であったり、お金がなくても、一定の満足感などの心地よさは得られる、ということはいうまでもない。ただし、幸せといっても、五感を中心とした肉体的な快感という感覚のレベルのもの(「肉体満足型幸福」)から、心のレベルのもの(「心満足型幸福」)、さらにスピリチュアルなレベルのもの(「魂満足型幸福」)まで様々なものがある。人生を通じて、できるだけ高いレベルのものをできるだけ多く感じたいものである。