はじめに

夫である田渕保夫(1947年4月13日誕生)は若年性アルツハイマー型認知症により、2017年2月8日、69歳10か月で死亡しました。生前、二人で「僕達の経験は誰でもできるものではないので、いつか本にしてみたいね」と話していました。

保夫さんは日本外国特派員協会やカールツァイス株式会社で働いた経験があります。バンク・オブ・アメリカ東京支店やサンフランシスコ本店での経験は、日本の職場では考えられないことも多々あるので、それを書いてみたいとの思いがあったのだと思います。

私は、日本とアメリカの子育ての違いや生活の様子を書いてみたいと思っていました。渡米する前の私は、アメリカでの子育てや生活に役立つ情報を得ようと、いろいろな本を探していたので、私達夫婦の経験はきっと海外生活をする方々の参考になり、また、広く役に立つに違いないとの思いからです。

多くの方々と出会い、助けていただいたことも、「本にすることによって、また、私達の生活ぶりをお知らせすることによって、感謝の気持ちを表すことができるのではないか」と思っていました。

本を出すとなると、「プライバシーをどこまでさらけ出すか」ということにも気を使います。ただ、真実を曲げることなく正しく伝え、ギリギリのところまで自分をさらけ出さなければ説得力が薄れてしまうだろうとも思い、なかなか一歩が踏み出せませんでした。

私生活においても、夫の死、移住計画の頓挫、パートナーの出現、シニア住宅への転居などがあり、この6年間大きな変化に見舞われました。

そんな中、アメリカ移住を決意した2016年頃、公益社団法人「認知症の人と家族の会」東京都支部の世話人の一人のSさんが出版を勧めてくださいました。というのも、私は、所属する「認知症の人と家族の会」の富山県支部「笹川合宿」の年2回(春と秋)の合宿に参加していました。

そんな中で事務局長の勝田登志子さんが声をかけてくださり、毎月発行の会報『ぽ~れぽ~れ』(スワヒリ語でゆっくり、やさしく、おだやかに)富山県支部版に私のエッセイを載せていただいていました。それを見たSさんが「田渕さん、これだけたくさん書いたのだから本にしてみましょうよ」と言ってくださったのです。

彼女は出版社勤務の経験があり、自身の本も出されました。私も今まで備忘録として書き溜めた文章を本にしたいと望むようになりました。

自費出版を考えいろいろ調べている中で、幻冬舎ルネッサンスの担当者が熱心に勧めてくださったので、「今がその時」と思い出版を決意しました。私も77歳の喜寿を迎え、記憶力、根気、気力、体力、判断力の衰えを感じています。早くしなければ、出会い、ふれあいのあった方々にも読んでいただけなくなるとの思いもありました。

幻冬舎は、「本を書くということは『人生の究極表現』である」と述べています。我が家の月めくり4月のカレンダーの言葉は「出会いというものほど人生の“軸”となることはありません」です。私の人生、「何と“人”に恵まれていることだろう」としみじみ感じながら、本書を始めさせていただきます。