小学校時代

兵庫県の幼稚園、小学校へ

校舎は木造と鉄筋の両方ありました。職員室がある校舎は木造で、ワックスがけをした後は特有の匂いが立ち込めていました。運動場は広く、小学校3年の頃、その隅にプールの建設が始まりました。

4年の7月からプールが使えるというタイミングでしたが、わたしはその年の4月に転校してしまったので、結局、その小学校ではプールに一度も入ることはできませんでした。

そう言えば、入学前に、就学予定の児童が集められて、親と一緒にその小学校に行ったことを覚えています。長い廊下に長机がいくつか置かれ、机の向こうに試験官がいて手前側に入学前の子が一人ずつ座り、知能検査のようなものが行われました。

4つか5つくらいの文房具や縫いぐるみが机の上に置かれており、後ろを向くように言われ、振り返ったときに何がなくなったかを答えたような気がします。認知症の評価スケールと共通している面もあることが興味深いです。

また、この学校の校舎の中庭(古い木造校舎数棟と建て増しした鉄筋の校舎の間)に、山から町にどのように水が流れてくるかを示すコンクリート造りの模型がありました。

その模型の末端に水がたまる結構広いスペースがあり、そこで生まれて初めて「ヤゴ(トンボの幼虫)」を捕まえる経験をし、目の前の現実を図鑑と照らし合わせるという、学習の第一歩を踏み出すこともできました。

学習というと、当時「科学と学習」(学研教育出版・現在は休刊)という学研の雑誌を校内で希望者に販売していました。特集にあわせた模型もセットになっており、毎月楽しみにしていました。

今の時代にはないかもしれませんが、中和の特集のときに、塩酸と水酸化ナトリウムの白い粉が実験セットのなかに入っていたように思います。そんなことが実際にあるのかと思いますが、これは記憶違いなのでしょうか。これは確かめることがむずかしい思い出のうちのひとつです。

この小学校には4年生の4月のはじめまで通いましたが、一番鮮明に覚えているのが運動会での学年対抗の「帽子取り」です。赤組と白組に分かれ、学年ごとに勝敗を決めました。