第1部 相対論における空間の問題

3 移動する列車と同時性の問題

時間の進みが遅くなるということの意味は何なのだろう。誰もがわかっているような気がするけれど、実際には把握しきれていない、と先回りして私は結論する。わかっている気がするから、適切な説明があると思い込んでしまう。

移動者の後ろから追いかける形の光についてまず考えてみる。移動者の時間の進みが遅いとは、例えば移動者が10分と感じる時間を、傍観者は15分と感じるということだ(感じると書いたが、もちろん時計によって計測するという意味。それぞれの主観的な時間であるということをこう表現した)。

つまり同じ光を見ているなら、移動者の見る光のほうが距離を稼げることになる。彼は光源から逃げる形になるので、光が追いつくためには距離を稼ぐ必要があり、これは理にかなっていると言えないこともない。

この光速度とはニュートン力学のcであり、時間の進みの遅さはすべて移動者の属性ということになる。しかし、とりあえず、

(c-d)=c

は、不思議にも満たされるような気がする。

では前方の光源からの光はどうなるか。時間の進みが遅いのだから、単位時間での事件の進行は傍観者のそれよりもゆっくりとしたものになる。

すなわち(c+d)の事実が傍観者に起きる間に、移動者はcの経験しか得られない。これで

(c+d)=c

も成立した。ただしこちらの時間の進みの遅さは、移動者その人ではなく、すべて移動者の見る光の属性になる。つまり光はゆっくり進んでいることになるのである。移動者には、傍観者と同じ時間が流れていることになる。

1つずつを取るなら「時間が遅くなる」という概念が成立しているように見えるが、この移動者は前後からの光を違う時間の相のもとに眺めていることに、結果的にはなってしまう。それは端的に言って、違う速度のものと認識するということだ。

要するに相対論というのは移動者の視点での光速度と、傍観者の視点での光速度を一定であると主張する方法論は持っているが、移動者に対しそれぞれ別の方向からの光について、それが一定であるかのごとく処理する能力はないのである。