第二章 私の学生期~家住期

この章からは、私の歩いてきた人生を中心に、生涯を4つの期に分けて、綴ってみたいと思います。プロローグにも書かせていただいた4つです。

①学生期

②家住期

③林住期

④遊行期

現在75歳の私がいるのは、③であり、これから④の遊行期、いわば「隠居」に向かうところであります。

22歳までの「学生期(がくしょうき)」 勉学に励む

我々の世代では「人は、生まれた家庭で育まれ、社会の中で揉まれて覚醒し、時代の流れの中で人生を構築していく」という一生を過ごす、という考え方が中心だったように思います。

我われは両親はもとより、生まれてくる国も時代も選ぶことはできません。両親からDNAを受け継ぎ、両親の庇護の下で育ちました。その後、両親が築いた家庭を巣立ち、社会という漠然とした世の中で、仕事をし、多くの人たちから影響をうけながら、自分自身を確立していきます。

昭和21年(1946年)生まれの世代は、終戦翌年であり、「焼け跡世代」に含められたり、「団塊世代」に含められたりと、曖昧な存在であり、自分のアイデンティティが中途半端な立ち位置にありました。

「団塊世代」は、昭和22年(1947年)から昭和24年(1949年)に生まれた世代で、合計約800万人の膨大な人口で、我われは、常に背後に大きな塊のプレッシャーを感じて学生生活を送ったことを思い出します。

私は静岡県の中部地域に位置する清水市(現在は静岡市と合併し、清水区と呼称)で産声を上げました。子供のころには、近くに海水浴場もあり、夏の海水浴シーズンになると臨時駅が設けられ、海水浴客でにぎわっていました。その海水浴場も現在は防波堤が築かれ、清水港の港湾施設の一部に変貌しています。

気候は温暖であり、山間部では蜜柑を栽培し、一大産地になっておりました。母親の実家は蜜柑栽培をしており、冬になると、手が黄色になるほど蜜柑を食べていました。