第二章

アッサジに安堵の色が浮かんだ。わたくしは念を押した。

〈苦行から離れること。激しい欲望からも離れること。諸々の事象は、条件、因縁によって生じるという理法を忘れないで、目の前のものをしっかり見て、行動すること。この実践が修行となり、わたくし達を安らぎに導く。

修行が完成した時には、一切の欲望を離れ、二度と母胎に宿ることはないであろう。二度と老いと死に捕われることはない。迷ったら理法に戻れ、わたくしたちの師は理法だ。

しかし、執着を少なくする、離れるということは、そう簡単なことではない。欲望は内なる悪魔の囁きとなって現れ続けるだろう。わたくしも又、これからも、内なる悪魔の囁きを退け続けなければならない。〉

『分かった。』と言って、コンダンニャが突然立ち上がった。

『分かった。移り変わってゆくものに執着することは愚かなことなのだ。程々に関わることが大切なのだ。それがわたし達の実践となるのだ。しっかり心を摑んで離してはならぬ。』

〈コンダンニャは覚った。コンダンニャは覚った。心を離すな。〉わたくしも思わず立ち上がっていた。」

「5人の友が理法を覚って、わたくしも入れてここに6人のブッダが誕生したのである。5人の友は、わたくしの遊行の呼び掛けに対して、目を輝かせて応諾した。わたくしは彼らに告げた。〈友が凡てである。良き友を持て。良き友が得られない場合は只一人行け。〉Sn.52‌         

暑さ寒さと、飢(う)えと渇(かつ)えと、虻(あぶ)と蛇と、―これらすべてのものにうち勝って、犀の角のようにただ独り歩め。

遊行は修行であると同時に、人々への呼び掛けである。不安、危険があるだろうに、彼等はそのことは噯気にも出さなかった。生活の保障はどこにもない。わたくしたちは、いつ、どこで果てるか分からない。わたくしは饒舌に続けた。彼等はわたくしに耳を傾けてくれた。

〈わたくしには、師から弟子へと、僅かな人々にしか伝えないような、門外不出の教えはない。誰にでも包み隠さず説け。ただ、聞く耳を持たぬ者に説いても疲れるばかりだ。相応しい人に、その人に分かる言葉で説け。