私はこれからも、そうやって普通に生きていくはずだったのだ。サカに突き返された、過去の日記を読むまでは。

十年ほど前にサカから突き返された四冊の日記帳は、当時私が暮らしていた安アパートに持ち帰られ、小汚いレジ袋から紙袋に入れ替えて、収納棚に置かれたままとなっていた。

やがて結婚が決まり、妻とともに2LDKのアパートで暮らすこととなった際、引き払うこととなったアパートの荷物整理をしていたら、紙袋に入った過去の日記が収納棚から出てきた。置いたことさえすっかり忘れていた。

これは持っていこうか、廃棄してしまおうか。一冊取ってパラパラめくってみると、もうすっかり過去のものとなった生活や思いがつづられていた。その時私は三十六歳だったから、もう十五年以上前の生活や思い出たち。そういやこんなもの書いてた時期があったなあ、という感想が出てくる。

オレも若く、青かった。今ではこんな風に考えることもなければ、いかに生きるか? などというクソの役にも立たない疑問にのたうちまわって頭を悩ませることもない。これから始まろうとする新生活にそぐわない内容であるし、自分がこうした過去を持っていたことを妻に打ち明けたこともなく、もし読まれてしまったら恥ずかしいから、捨ててしまおうかと考えた。とはいえ読み出したら面白くなり、荷物整理をする手がすっかり止まってしまったのである。

そこには今の自分とはかけ離れた生活や言葉が羅列されていた。日によって普通の字であったり、のたうつように書き殴ったりした文字もある。首を吊る自分やピストル自殺する自分、射精する自分など、おぞましい落書きもある。読み出すとなんだか止まらなくなってしまった。

あんなこともあった、そういやあんなみっともないこともした、という懐かしさもあったし、気恥ずかしさ情けなさから、読むのにつらいところもあったけれど、読み物として面白かった。くだらなすぎて、アホすぎて、そして真剣すぎて。

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