第一章 出会い

そこでようやく同じ野球部に入った僕らだったが、あいつはメールにこう書いてきた。

「太郎だけだ。俺のボールを初めての試合でバットに当てた奴は。だったら、俺のボールを捕れるだろう。俺のキャッチャーになれ。小学校の頃は、俺は全力で投げたことなんかない。

いつもキャッチャーの公平が捕れるように加減をしてきた。これからは、本気で投げる。だから太郎、お前が捕れ」

傲岸不遜なそのメールに、しかし僕は英児の投手としての無限の可能性を感じた。2019年に逝去された日本で唯一の400勝投手、金田正一さんは現役時代に監督よりも威張っておられたという。

かつて日本国有鉄道だった日本の鉄道事業。その国鉄がオーナーだったプロ野球チームが国鉄スワローズである。現在の人気球団の昔の姿がそれだ。

悲しいことに、当時は今の強豪とは異なり、万年最下位のお荷物球団だった。勝率が1割程度しかなかったその弱小球団で、金田投手は400勝のほとんどを稼ぎ出された。

驚くことに、投げておられたボールは基本的に2種類しかない。ストレートとカーブだった。金田投手はそのカーブを縦に使われた。昔は縦のカーブをドロップと呼んでいたが、金田投手の縦のカーブこそ、まさにドロップだった。

一説には70センチ以上も曲がったのだという。日本プロ野球史上間違いなく最高のキャッチャーで、僕の憧れの存在だった故・野村克也さんは日本プロ野球史上最高の投手として金田正一さんを選ばれている。

また、ミスタープロ野球として絶大な人気を誇るスーパースター・長嶋茂雄は、ゴールデンルーキーとして鳴り物入りでプロ野球に入団したとき、デビュー戦で四打席連続三振を喫している。さらに言えば、次の試合でも三振を奪われているので五打席連続三振だったのである。

「カネさん(金田投手の愛称)のカーブは、2階から落ちてくる」

当時のプロ野球選手は皆こう振り返っているのだ。

そして金田投手は打者としても恐るべき存在だった。生涯で38本もの本塁打を日本プロ野球で打っている。長身の左投手で強打者でもあった英児に、僕は金田投手の伝説を重ね合わせてみたのだった。(こいつは絶対に、金田さんみたいなすごいピッチャーになるに違いない)