第六条 「手塩にかける」

「あきらめグセ」→「低学力」→「不登校」という図式

「あきらめグセ」→「低学力」→「不登校」という道筋をたどってしまった例について、次に、C子さんの例を記していくことにする。

C子さんが、お母さんに連れられて私のところに来たのは、彼女が小学四年生の時だった。九九の六の段以上は覚えられない…覚えようとしない

「先生、私は、自分が働く姿を子供に見せたいと思って、ずうっと、やって来ました」

「母親が必死に働いている姿を見ていれば、子供は、しっかりとした人間に育ってくれると思ったんです」

「それが、小学校一年の時から学校に行きたくないって……。それで、私が毎日、車で送って行ったんです」

「そんなことで、なんとか不登校にはしないで来たんですけど」

「この頃、極端に算数ができなくて」

「学校もイヤだとは言うんですけど、なんとか通っています」

三、四ヵ月の頃から保育所に入れていたのは、職種のためとか生活のためとかいうよりも、自分の信念のためだという。人間の子は手荷物とは違う。

「お母さま、産まれて間もない子に、お母さまの信念や理想が分かると思いますか?」

「生活のために必要だった訳でもないのに、赤ちゃんを預けるのって、辛くはなかったんですか?」と、私はきいた。

私が、自ら子育てをしている時、周囲のお母さん仲間から、「よく、こんなに小さい子を預けられると、思っちゃう」とか「預けて働き続ける人って、どうして、そういうことできるのかって、分かんない」というような声を聞いていた。

私自身も、同じように思っていたにもかかわらず、四才の長女と一才三ヵ月の長男を保育所に預けて働きだしたのは、シナリオライターであった夫が大病で倒れたためであった。身を切られるような想いであったが―。

だから夫の稼ぎで、ぎりぎり生活できるにもかかわらず、幼いわが子を他所に預けるという人は、子供への情愛よりも「仕事が大切」「仕事をしている自分が好き」「自分で育てるより、プロに育ててもらった方がいいに違いない」「もう少し収入を増やしたい」等という考えに固まっているのだと思う。