手荷物なら、自分自身で抱え続けなくても、人に預けようとコインロッカーに入れておこうと、何の変わりもない。しかし、人間の子供は常に周囲の状況を感じている存在である。

歩きだすまでには、寝返りで背筋や腹筋を鍛え、お坐り、歩行器(脚を鍛える)、はいはい……などを経て、はじめて立ち、歩めるようになるのである。これは肉体の成長であるが、「心」も、同じように成長しているのである。

集団保育でも心は成長するが、母親の元と同じわけにはいかないのだ。子供のことを一番深く思っているのは母親である。子供を育てるのは「仕事」ではないのだ。

仕事なら、離れれば忘れられる。忘れる。しかし、子育て中は、幼ければ幼いほど子供の存在は二十四時間母親の心にひっかかることであり、例え、大きくなっても(特に学齢期は)寝てもさめても、子供の事は心に在るのだ。

手元に居た方がこのような想念が強く伝わるという事は、誰も否定できない筈である。だから、私は、乳幼児期は実の母親が可能な限り手塩にかけて育てた方が良いと、常に主張しているのだ。

「はかない自我」と「弱い情緒性」

C子ちゃんは四ヵ月から公立保育所に預けられ、その結果として残念ながら"はかない自我"と"弱い情緒性"の持ち主に育ってしまったのである。

彼女が「はかない自我=弱い自分核」の持ち主に育ってしまったのは、彼女が内向的な子だったからである。おもちゃの取り合いでは、いつも取られる側。思いっきり大型の遊具で遊ぶのは、恐がりのためにそれほどやりたくない。

その上、並んでいても、いつでも横入りされてしまう。預けられている間中を、うっすらとした感覚ですごし、あきらめて、おとなしくする習慣の持ち主になったのである。

お母さんは、「強く自立する子」を望んでいたのだが、彼女は「弱く自ら立たない子」になってしまったのである。

内向的な、おとなしいタイプの子を、ゼロ才、一才、二才位の、まだ言葉も定かでない時期に保育所に入れると、保育士の指示にはよく従うし問題は起こさないので「良い子です」と言われ、親も安心している場合が多い。

これが、クセモノなのである。

【前回の記事を読む】保育所で見た「弱肉強食」の争い…。指導しなければ「負けグセ」がつく!