第2話 素粒子って何

8月28日

以下は私の学習発表

それ以上分割できない粒子を素粒子という。

ギリシャ哲学以来、自然学や倫理学、論理学として探求されてきた物理学。物質のもとは何だという根源的な問いは人間にとって普遍的な問いであったそうだ。何かをもうそれ以上分割できない大元まで突き詰めてみたいという欲求は私にも理解できる。

それが分子になり、原子になり、素粒子になっていった。分子と言うのは例えば、H2O。原子というのは例えばH。原子は原子核を中心にしてその周りをいくつかの電子が回っている。

原子核は陽子と中性子がいくつかくっついたもの。それがどうしてバラバラにならないかを解明したのが湯川秀樹博士で、その功績でノーベル賞を受賞した。π中間子という力が働いている。

この陽子や中性子もまだ素粒子ではなく、クォークという素粒子三つからできている複合粒子である。素粒子はクォーク以外にも、電子の仲間であるレプトン、力を媒介するゲージ粒子があり、3属に分類されている。

さらに、この3属に属さないヒッグス粒子も発見されている。新聞からの知識によると、このヒッグス粒子は高速加速器での探索の結果である。ちなみにニュートリノの観測はスーパーカミオカンデ。

力学の研究をして運動法則の方程式を完成させたニュートン。それを発展させ相対性理論を唱えたアインシュタイン。これで宇宙に関して言えば太陽系の仕組みまでは理解できるようになった。

ここまでは、力、環境、素材が三位一体となって自然が成り立っていると理解された。しかし、量子論が明らかにされると、この考えは否定されてしまった。

ここには決定論的物質観からの決別という哲学的観点も関係していて、因果律に基づいて未来の決定論を論ずる、例えば人間の人生は生まれたときに決定されているとした「ラプラスの悪魔」のような考えは否定されるに至った。

現在の量子論は、「量子化された場」と呼ばれる、観測とは離れた数学的構成物を取り扱う学問とされている。これは「量子化された場」がミクロの世界の中でのことであり、観測不可能であるから、当然のことだと言える。

量子論では環境と素材の区別がなくなり、そうするとよくわからないけれど「粒子=波動」となり、ある現象の何かを測定するとき、あるときは波動を示したり、あるときは粒子性を示したりする。つまりどちらの性質も持っているものということになる。

これはもちろん見えるわけではなく、数式上のことである。このことによって、素粒子はエネルギーの塊であり、それ以上は問わないとされているらしい。

すると、「エネルギーの塊」をミクロの世界でどう捉えるかという問題が残る。この問いに答えを出したのが湯川博士で、「力が存在すれば、そこには粒子の交換が行われている」というものだった。

湯川博士が予言したπ中間子の存在は後年その存在が確認されたが、そこに質量がなぜ生じるのかという問題を残した。この問題に答えるために、質量を粒子のない状態に戻って理解しなければならないということがわかってきた。

ここからは全く私にはわからないが、この解決の端緒となるのが、南部陽一郎博士がノーベル賞を受賞した「素粒子物理学における対称性の自発的破れ」という考え方である。この考え方には多分「場の量子論」でいう真空が関係しているらしい。波動は水や空気という媒質の中を進む。